2009年8月24日月曜日

秋の足音、でも夏について日記を書いたっけ

夜外を歩くと、風がかなりさわやかになっていることに気づく今日この頃。ときに突き抜けるように心が晴れるけど、気づけばまたなんだか薄めのフィルターがかかったように曇り始めるのがここ数か月の僕の精神状態なんだけど、それはどうやら変わっていない様子。今日はがっつり仕事に集中して上がった時は悪くない気分だったんだけど、夜簿記の学校で授業を受けているときに「あー、おれは今後どうやって生きていけばよいのだ」という気分になった。それはたぶん、先週出張で一回授業をさぼってしまったために、ミニテストが全く解けなかったことにも大きく依存しているんだろうけど。おいおい、いいのかこのスケールの小ささ。

とにかく、僕はときに自分をとらえる閉塞感みたいなものを根っこから取り除く必要を感じている。でもそれには一つ一つ、引き延ばしてきた課題を片づけていくしかないんじゃないかと考えて、今日はずーっと引き延ばしてきた新聞の購読に踏み切った。ひとまず一年は、日経新聞を読むことにした。たぶん自分の勉強のためにはEconomist誌とかを気合い入れて読んだ方が良いんだろうけど、自分には最近付き合いが多いけど共有するものがとっても少ない気がするおじさんたちとコミュニケートするための共通言語を取得する方が重要な気がした。2ヶ月後に後悔していないことを願う。

なんだか上記の話題と矛盾するようでなんだけど、自分で読みたいと思った本を読めていないのもけっこうよくない。入社1年目の僕には課題図書なるものが課されていて、7冊だか8冊だかの本を8月末までに読まなきゃいけなかったんだけど、「別にそれほどつまらないわけでもないけど、そんなにおもしろくねーな」と思いながらだらだらと時間をかけたためにまだ課題図書が片付いていないのだ。読みたいっていう気持ちではなく、必要性に駆られてほそぼそと読んでいる、これも僕の気分を微妙に盛り下げる要因になっている気がするので、課題図書は早々に片づけなければならない。こういうところこそまさに大学院生活で培ったスキミングの要領の発揮しなければだめなところな気がする。

小さな懸念事項をしっかり処理すると、なんだか意外なほどに視界が開けることがあるっていうのは僕が大学院のときに常々感じていたこと。ひさびさの日記が簿記やら日経の購読やら課題図書やらとただ必要性と事務性に彩られたせせこましい内容になってしまったことは懸念に値するけど、それでももっと懸念事項となっていたこのブログの更新ができるってことを前進と捉えて、今夜のおやすみなさいに代えます。

あと、最後にのりぴーについての過剰な報道は控えてほしいです。何か大事なものから僕たちの目をそらしているような気がしてなりません。
おやすみなさい。

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