①フットサルチームの活動
②中国語のプライベートレッスン
どちらも、僕が人生のある時期になんとなく「ま、いっか」というカテゴリーに入れてしまったもののリスタート。
中学の頃のサッカーはとにかく中途半端で、美術部顧問兼任のやる気ゼロのコーチのもと、とにかくやんちゃなチームメイトたちとどうやって付き合っていくかばかりに気をとられて、プレイすること自体を楽しめる状態に自分を持っていけなかった。
中国語は、高校3年から学校の授業で勉強するという幸運に預かったものの、大学1年のときに3級を取得して以来、継続する意義が見いだせずに放棄。大学院で中国に行ったときは、ほとんどゼロからの復習で、英語で行われる授業の課題にも追われて、タクシーの運ちゃんに指示を出せる程度のレベルで帰国。
こう書いてみると、けっこう散々な感じだ。
だけど、自分が一時期でも、少しでもエネルギーを傾けたものを掘り出して、新しい状況のもとで埃を払っていくのは悪い気分じゃない。それこそ「散々」に、自分がこれまで歩んできた道を「ちりぢり」になりながらも構成する要素をもう一度見つめなおして、自分から楽しもうとしているのだ。
こういう楽しみ方をしている自分を思うと、良い意味でも悪い意味でもなく、大人だなーと思う。新しく始めたように思えた何かが、実際はすでに通り過ぎたもので、新しい光の中でそれを見ているだけなんだなーと。それだけ通り過ぎてきたものが多くなっているのだなーと。
音楽だってそう。自分の好みはいつも行きつ戻りつしていて、新しいものにたどりついたような気がしていても、実はそれが過去に通り過ぎていたものだったりする。
自分の日常がいわゆるJ-POPから離れだしたとき、モチベーションはただもっとかっこよいものを身にまといたいというファッションの感覚だった。まさに中学から高校にあがるくらいの時期に一生懸命読んでいたsmartに出てくる”業界人”たちのセレクションからお気に入りの何かを見つけることから、僕の言う、趣味としての音楽は始まった。10年とちょっとがたって、気づいたら、今また彼の音楽を気持ちよく聴いている。
でも、「行きつ戻りつ」がなければ、はたして心に響くものがそこに生まれるのか。Crazy Heartの中で、ジェフ・ブリッジズが言っている、「良い音楽とはどこかで聴いたことがあるような気がするものだ」と。ポール・マッカートニーはYesterdayのメロディを思いついたときに、誰かの曲じゃないかとさんざんびびって聞かせて回っていたそうだ。実際、どこかにありそうだよなー、あのメロディ。
過去にあった気がするもの。あるいはよく考えていると実際に通り過ぎていた何か。デジャブとはよく言うけれど、そういうものの輝きをちょっとだけ強く感じつつある、今日このごろです。
Hiroshi Fujiwara "My Emotion"
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