2009年5月24日日曜日

元気にやっています

ブログの更新がここのところものすごく滞っていますが、元気にやっています。もはや誰が見ているのかっていう話なんだけどw。

最近、仕事で最初の山が来てました。新人としてはかなり早い段階でたくさんのお客さんを抱えさえられて、全国各地で地域のために何かやってやろうという考えを持つ人たち(8割はおじさん)と連日主に電話で、たまーにface to faceの面談で話をするということに追われていました。これが今後の僕のメインの仕事に当たるんだけど、あらゆる事業に共通する計画上での、遂行上での要点っていうのは僕の中に持っていなくちゃいけないんだなって実感。それさえあれば、どんな専門家に対してだって僕みたいなジェネラリストの若造がものを申す事ができるというわけで。その手の本も、今後は読むべきなんだろうなー。

そんな感じで仕事は忙しいながらも楽しんでいるんだけど、会社の指令で今時間を見つけては簿記の学校にも通っているため、けっこう時間がなく、平日の夜はちょこっと運動したり、小説を30分も読めばすぐに寝る時間になってしまう。週末を楽しみにしながら平日の短い夜を一つ一つ過ごしてると一週間が飛ぶように過ぎて、こうやって多くの人は社会人になった後、30歳とかいうどこからどう見ても大人な年齢へそれほどの自覚もなく邁進していくのだろうなってしみじみ想像します。routineってのはどんどん速く回転していくもの。だから時間を見つけて、また海外旅行に行きたいなーって思う。でも、それで数か月に一度違う風を自分の生活の中にいれれば、自分の人生はそれで、そのスケールとペースで良いのだろうかともつくづく考えてしまうんだけれども。そしてこういう思いも、気の知れた人達と飲んでお酒の肴にしてしまえば片がついていってしまいそうな気がして、1週間に3回くらい自分を戒める必要も感じている僕です。

ということで最後は僕のチルアウトのお供。彼らを聴いてるとほんとに頭がすっからかんになるから良い。心なしかなんだか梅雨が似合う気がします。

"いかれたbaby" Fishmans



2009年5月7日木曜日

変わりゆくleft and right

今年僕が最も注目している日本語ブログ、himaginaryの日記に僕が昨年中国で勉強したことドンピシャのエントリーが。

ワシントンコンセンサスから北京コンセンサスへ

北京コンセンサスって中国の大学院の最初の授業でやった概念なんです。教授は中国のいわゆるNew Left(新左派)の代表格で米国発の金融危機のニュースに心からウキウキしていた人なんだけど、かなり好きでした。おっと脱線。

そもそも開発の領域における世銀・IMF批判でよくつかわれるワシントン・コンセンサスという言葉は、wikipediaによると以下の政策をよしとするイデオロギーを表す。


(1)財政赤字の是正、(2)補助金カットなど財政支出の変更、(3)税制改革、(4)金利の自由化、(5)競争力ある為替レート、(6)貿易の自由化、(7)直接投資の受け入れ促進、(8)国営企業の民営化、(9)規制緩和、(10)所有権法の確立

つまり世間的な言葉でいえば、レーガニズム、サッチャリズム、コイズミズム(?)、あるいは新古典派とか新自由主義(ネオリベラル)と呼ばれる政策傾向一般ってことなのかな。80年代には、conditionalityを使って世銀・IMFがアフリカやラテンアメリカの途上国において小さな政府的政策を推進し、結果彼らを以前よりさらに窮乏させたり、格差を拡大させたとして、それらの地域出身の留学生が往々にして憎悪を抱いているイデオロギーです。

世界的な経済危機が進行し、アメリカの経済学者の間で銀行国有化が最善の策とされ、金融セクターに対する様々な規制が議論される中で、ワシントン・コンセンサスへの信頼が消え去りつつあるというのは確実だと思う。一方で台頭してきたのが北京コンセンサスなるものだというのが上記記事の話です。

ホルスラグが言うとおり、オバマの経済政策ってかなり北京コンセンサス的に見える。そもそも選挙前も、今でも聞かれるオバマの形容詞はpragmatist。これってつまり、目的のために最も現実的な手段を採用することができる人ということ。ここでオバマの掲げる目標が(少なくとも当面のところは)経済危機を脱し、アメリカの力強い経済成長を実現することであるのだとしたら、そしてそのために金融セクターへの規制を推進し、ときには保護主義的政策を容認するならば、それはまさに北京コンセンサスそのものだし、現実にオバマはそれに近い動きをしてきている。銀行国有化なんて実現しちゃったら、そのときアメリカの経済システムはSocialism with Chinese characteristics以外の何物でもないでしょう。

上記記事でとっても面白いのは以下の部分

経済危機、および中国をはじめとする発展途上国の台頭による米国の相対的な力の衰えにより、米国も自由貿易の錦の御旗だけではやっていけなくなり、より現実的・経済的な方法を取る必要に迫られた、というわけだ。

米国が経済におけるモラリズムを捨てることは、そのソフトパワーを部分的に失うことを意味する。その結果、これまでと比べ米欧間の紐帯が弱まる可能性がある。これからはそうしたモラリズムではなく、実際に経済をどれだけ上手く運営したかで世界への影響力が決定される時代が来る、というのがホルスラグの見立てである。

つまりつまり、できるだけ規制に束縛されない世界経済を理想とした新古典派こそモラリスティック(道徳的)で、経済成長のためには市場への積極的な介入を辞さない新左派がプラグマティック(実利的)ってことが全体を通して言われてるわけです。80年代に生まれ、小泉の登場まで10代を過ごした僕の中ではなんとなく右=冷徹な現実主義、左=情熱的な理想主義みたいなイメージだったんですが、そんな印象はすでに遠い過去のものっていうことなのかなぁ。たぶんこれこそ、北京コンセンサスの台頭によるパラダイム・シフトってことなんだろう。そして今、アメリカに価値の領域でも対峙していると想定されるのは他のどこでもなくやっぱり中国なのですね。

21世紀、変わりゆく世界...だから世界は面白いっす。

2009年5月4日月曜日

渋滞あれこれ

昨日ニュースを見ていたら、東京大学大学院の西成教授が渋滞について面白い話をしていた。

西成教授が話していたのは、まさに行楽シーズンの今、高速道路の渋滞についてだった。彼曰く、高速道路においては、渋滞の6割が坂道で、それも運転手がそれと気づかないような上り坂で起こっているのだということだった。何かの拍子に車が減速をする、これが渋滞のきっかけなのだと。

ある車のスピードが緩めば後ろの車は当然前の車に近づいていく、そして車間がある程度にまで狭まったとき、後ろの車はブレーキをかける。それも、車間が40m以下のときには、運転手は反射的に前の車より遅くなるくらいの速度までスピードを落としてしまうそうだ。それを連鎖的に繰り返すことにより、渋滞というのは発生するらしい。西成教授いわく、渋滞を防ぐ方法は、車間40mという追突防止のための距離を徹底的に守ること。これによって、集団的な減速の連鎖を防ぐことができるのだという。


この話を聞いて面白いなーと思って少しググってみたら、インタビュー記事があった。より詳しい内容が載っています。

目からウロコの”究極”の渋滞回避術


記事によると、高速道路渋滞回避のための最も有効な方法は、「スローイン、ファーストアウト」っていうことみたい。つまり、渋滞情報を事前にキャッチして、突入する5kmくらい前に時速70km程度で十分な車間をとりながらゆっくりめに走り、渋滞を抜け出るあたりから速めに走る集団を作るのが理想だとか。これが「渋滞吸収隊」の役目を果たす。逆に渋滞前に早く早く行こうとすると、渋滞のポイントにどんどん車がたまって渋滞はさらにひどいものになってしまう。結局、各々が情報をしっかりと得て、はやる気持ちを抑えて、全体のことを考えながら運転することで、渋滞というのはけっこう緩和されるものだってこと。

渋滞の解消ってけっこう大事な問題で、そうすることによって例えば車の燃費が良くなる(CO2やその他有害ガスの排出が減る)、余暇の時間がより多く確保できる(社会に心理的ゆとりが生まれて休暇中の消費を促進する)、物流の効率が上がるなど、僕みたいなど素人が考えただけでも、かなりの大きな波及効果がある。車の流れ、人の流れがスムーズになれば、都市と地方のアンバランスな関係にもなんらかの効果を及ぼすでしょう。例えば、最も希望的なシナリオは地方から都市に通いやすくなって、格差が解消する、とかになるのかな。

ETCを活用した高速道路1000円化によってこういう話がより注目を集めているわけだけど、僕はそれ自体にもけっこう好意的な見方をしている。だって、アメリカだってヨーロッパだって高速でほとんどお金をとっていないんだから、日本国内で彼らなみの充実したバケーションを過ごすには、とにもかくにもまず移動のコストを下げることが大事だって思うし。それに、地方に対する恩恵も大きいのではないかと思う。もちろん、コストっていうのはお金のほかに時間や、環境に対するものも考えなくちゃいけないんだけど、特に時間と環境のコストを下げるために、今渋滞解消のための知識はとても重要になっているのだ。

それにしても、渋滞って、というか交通一般っていかにも人間的、社会的なものだなーって思いませんか?僕は信号機を見るたびに、日本中の、あるいは世界中の人が、ほんの百年くらい前には存在しなかったあの赤とか緑のライトを見つめては、止まったり進んだりを繰り返していることがとっても律儀で愛らしいことのように思える。渋滞も信号機に従うような、他者を、社会を思うほんの少しの心があれば、人間的な方法で解消できるものなんだろう。

PS. 今日はCMフェスティバルにノミネートされたらしい、渋滞と情報にまつわるオランダのKPN MobileのCMを。僕は小さいころ、渋滞に巻き込まれるたびに父にこういっていた。
「こういうとき悪いのは、先頭の人なんだ!」ってw。