4月から行う仕事の関係上、最近、社会福祉というものに少しずつ目が行くようになった。思い出すのは、2次面接でされた質問。
「障害って何だと思いますか?」
僕はとっさのことで、身体とか精神、考える能力の機能の一部が弱まったり、働かなくなったりすることとか言って病気の話とかをしてしまったんだけど、この認識は確実に間違っていた。より正確には、重要な何かが足りなかった。
僕はとっさのことで、身体とか精神、考える能力の機能の一部が弱まったり、働かなくなったりすることとか言って病気の話とかをしてしまったんだけど、この認識は確実に間違っていた。より正確には、重要な何かが足りなかった。
つまり、そういう"弱まり"とか”機能の欠落”みたいなものは、あるコンテクスト、ある環境の中で認識されるものだということ。結局障害というのは、障害者にあるものじゃなくて、”健常者”も含めた社会にあるものっていうことだ。
この前日経ビジネスにスウェーデンの国策企業サムハルに関するシリーズが掲載されていた。
従業員2万2000人、収入868億円、ROE9%で、Volvo、IKEA、DHLなどの一流企業をはじめとする1000社との取引がある。その従業員の90%が何らかの障害を持った人たち。実際のところ、868億円の収入のうち500億円は政府が補助金として出しているものらしいけど、「驚愕」なのはサムハルが年間約1000人を一般市場に転職されているということ。だって、障害者が一般市場で働いていくための力を育てることがサムハルの重要な役割であり、毎年、従業員の5%を転職させることが経営目標だから。外部に通用する人材をどんどん転職させていく一方で、(ROEや自己資本比率の水準など)株主の厳しい経営要求を満たしてきた、これが多分ビジネスの視点から見たサムハルのすごい点なのだと思う。
そんな特集の最終回にあったエピソードがものすごく印象的だった。2万人の障害者をマネジメントするノウハウを学ぶため、サムハルを訪れたトヨタ・ループスの常務が冗談混じりで言われたこと。
「あなたはスウェーデン語が話せませんよね。ここでは、あなたが障害者なんですよ。」
環境が変われば、誰もが不自由な状況に置かれ、誰でも障害者になり得るってこと。僕はこのエピソードを読んでいるとき、なんだか自分が海外での生活について考えていたことをうまく表現しているような気がした。障害者っていう言葉を使う必要はないとしても、留学生、特に言葉がうまくしゃべれない者は圧倒的な社会的弱者になる。誰かに理不尽なことをされても、言われてもうまくいい返すことはできない。相手に何度もものを聞き返せば場合によっては「あんたバカなの?」みたいな態度を平気でとられる。普通の恋愛なんてできないかもしれないって思う。それが環境によってある"機能の欠落"が初めて見えるっていうこと。そして障害者の「障害」を見ている、彼らに見せているのは社会だってこと。
海外生活について、留学についてもっと言えば、それはたぶんリハビリテーション(rehabilitation)のプロセスに近い気がする。Wikipediaによれば、rehabilitationの語源は、ラテン語でre(再び)+ habilis(適した)。中世ヨーロッパにおいては「教会からの破門の取り消され、復権すること」を意味していたらしい。つまり、誇りを回復させるためのプロセス。障害の機能回復で使われる「リハビリ」と同じこと。井上雄彦のリアルも、"健常者"も"障害者"にとっても本質的に変わることのない、自分の誇りを手に入れるための戦いのストーリーなんだと思うな。誇りを手に入れることとか守ることが普遍的なことだからこそ、あのマンガがあれだけ受け入れられているのだと思うし、それならばその戦いの苦しみを多くの人が知っているはずだ。そして環境一つで、自分がとても楽になれることも。
社会福祉の分野における一つの基礎的な理念となっているノーマライゼーション(normalization)っていう概念も北欧生まれらしい。「障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方」とのこと。スウェーデンでは早くも1954年から、障害者を健常者から隔離する施設の撤廃が始まっていた。最近は、たぶん”アメリカ型”なる経済体制への不信が募ってるからだと思う、主に北欧モデルのすばらしさがメディアでよく取り上げられていて、日本の多くの人の興味関心を引いていることが感じられる。でも、彼らは100年単位で、国と制度と共に社会福祉のメンタリティを育んできたわけだし、障害者への対応にはそのくらいの年数・経験のギャップが表れている気がする。例えば、日本における”賢い人たち”の障害者問題に対する沈黙とかに。障害者や障害の問題について、「軽々しいことは言えない」っていういかにも理知的なコメントや態度は、往々にして一生こういう問題について沈黙を続けるためのexcuseになるのではないだろうか。
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