
Washington Post, "In China, a Grass-Roots Rebellion"
僕が清華大学の公共管理学院で勉強していた5ヶ月間、民主化-democracyについて教授から何らかの意見を聞くことはほとんどなかった。それはまず、おそらく経済発展に焦点を当てた”開発系”の授業ばかりだったせいもあるだろうし、北京大よりはコンサバティブな学風で知られる清華大だからってこともあるのかもしれない。でも、それよりも、何よりも、金融危機の影響を少しずつ肌に感じながらも、世界史上もっとも著しい経済成長と呼ばれるもの(日本の”高度成長”を凌ぐ)を相変わらず経験していると思われていた中国において、彼らが民主化について語る十分な理由を持たなかったからというのが大きいと思う。
公共管理学院の留学生のmajorityはアフリカからの学生だった。中には政府要職を経験した人までいた。それに続いて中南米、そしてCIS出身の学生も多かった。彼らは一様に中国の奇跡的な経済成長から何かを学んで祖国に貢献しようという気持ちを持っていたし、その気持ちの裏で”アメリカ型”の体制や開発をところん嫌っているように見えた。そうじゃなかったら、わざわざ中国で(しかも中国人教授の完璧とはいえない英語で)授業を受けようとはしないだろう。もちろん、ネットの検閲とか、報道の一面性、一党独裁自体を好きな学生なんていない。でも、democracyなんていう、定義もあいまいで一度始めたら泥仕合みたいな議論を喚起する言葉を授業で持ち出すには、そんな形で教授の注意を削いで中国人学生たちのプライドを傷つけるには、中国の経済発展は華々しすぎたし、僕らは忙しすぎたのだ。
中国のモデルはよく"開発独裁-development dictatorship"と言われる。卑近な例としては、リー・クアン・ユーのシンガポールにおける開発モデルがある。wikipediaには開発独裁についてこうある。
経済発展のためには政治的安定が必要であるとして、国民の政治参加を著しく制限する独裁を正当化すること。
開発独裁の有効性については、たぶん昨今の日本の状況と比較すればよく分かる。ほとんどすべての重要な決議が野党・民主党の反対にあう。”改革”なんて遅々として進まない。外交問題にすら超党派による合意があるのか微妙で、不安定。決定的な政策を打ち出せず、官製不況なんていう言葉も出て、果てには政治への不信まで語られている。日本は、少なくとも一見したところでは、確実に中国より民主的な国だけど、多くの人にとってその政治が信用できないのなら、民主的である意味なんてどこにある?「豊かでありたい」っていう国民の基本的な要求に対応できないなら、政府の正当性(legitimacy)はどこにある?経済成長や環境面での対策まで含めた”国家目標”を中国は淡々と達成していこうとしているのに。っていうことになる。実際、日本でめまぐるしく交替する首相への支持が例外なく急落してきた一方で、最近まで中国では7割くらいの人が共産党政権の成果に満足していたのだ。
でも、開発独裁は経済の谷にたいして脆いというのも多分確かだろう。現に今もそうだけど、景気が沈もうとしているときにはいつだって「暴動」のリスクが懸念される。政権党にmismanagementの責任を形式的に取らせること-つまり辞めさせることができないから。暴動に比べたら、冒頭記事の嘆願書なんてかなり穏便なものかもしれない。でも、このタイミングで「民主化」の声が大きくなっていることは、たぶん気に留めておくべきことなんじゃないかな。もしかしたら中国では今Washington Postへのアクセスもシャットダウンされてるかもしれないけど。でも、民主化の要求と経済不安が一体になっていった場合、今年か来年か天安門事件以来のおおごとに発展する可能性もなくはないのではと。
僕個人としては、一貫して中国経済の見通しについては楽観的だったんだけど、最近その楽観的な見方を少しだけ疑い始めている。広東あたりのおもちゃ工場の相次ぐ閉鎖だとか、出稼ぎ労働者の解雇・失業の増加といった表面にあらわれているものはただの前触れなのかもしれないって思うところがある。
もしそうだった場合、中国の安定だけじゃなくて、国際的な貿易摩擦の激化とかかなり大変なことになるかもしれないけど。それについては後でまた書きたい。
あ、ちなみに冒頭の画像は、去年中国政府がリリースに激怒して現地で販売禁止になったらしいガンズですw。ネタです。
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