2009年7月28日火曜日

Hostessing in Japan

欧米メディアの注意を引くことは、ここ5年くらいで隣国の中国に奪われる形で圧倒的に減っただろうと思われる日本。それでも世界に名だたる日本女子や独特のユース・カルチャーの動向はまだまだネタになるのかな。ということで、今日のNY Timesに掲載された記事。

Young Japanese Women Vie for Once-Scorned Job
NY Times

最近は以前より多様なバックグラウンドを持つ女の子が、ホステス(キャバ嬢)として働くことを希望しているとのこと。驚きのエピソードは、ホステスとして働く女の子のリクルーティング、つまりキャッチが女の子が親と一緒にいる場合でも成功する例が出てきたということ。これまた驚きだけど、女子高校生1154人を対象とした今年の調査で、人気の職業40種の中でホステスは12位になったんだって(公務員18位、ナース22位)。この人気は本物と言ってよいような気がします。

簡単に年収1000万、うまくいけば年収3000万超。同年代の女性派遣社員の10倍に相当するらしい給料は、たしかに魅力的だけど、たぶん女の子をひきつけているのはそれだけじゃない。まずは、なんとなくクリエイティブなイメージ。ホステスあがりの女性がビジネス書やノベルなどを出版してヒットしたり、アクセサリーやファッションブランドを立ち上げたり、衆議院議員になってたり、世間では元ホステスの人たちのいろんな成功例が注目を集めている。たしかに、ホステス業を、自営業的成功への踏み石として考えてお金を稼いだり人脈をつくってる女の子もいると思うけど、イメージ向上はそれだけでは説明がつかないような気が。

そんな風に考えたら、記事に出てくる”independent”って言葉が気になった。ホステスのイメージでクリエイティビティより強く浮かぶのは、たぶん世知に長けたしたたかさだと思う。夜の街を颯爽と歩いて、客の誘いを体よく断って、同僚たちとの微妙な競争関係や友人関係の中で綱渡りで手にするランクや高収入が裏付けるのは彼女たちの確固たる”independence”なのかもしれないなぁって。そのプロセスって、ある種の典型的な「成人の儀式」だし、過酷な労働条件やスケジュール、それと対照的な華やかな衣装や店の内装は儀式をロマンティックに仕立てるのに十分。大人の女とか、独立したいい女への修行として、キャバ嬢を通過することを選ぶ女の子もきっと多いんだろう。

一方で、「ホステスとして高収入を得られるのは若いときの10年くらいだけ」という女子高校生のセリフは、投資銀行への就職を希望していた、とても意欲的な数人の知人を僕に思い出させた。10年ももたないかもしれないけど、10年やる気で死ぬ気でがんばれば、あとは人生好きなことを楽しくやっていける、そんなことを彼ら彼女らは言っていた。そこの人生観はエリートとホステス本気志望の女子高生でほとんど違いがない。厳しくて、世知辛そうな世の中を一気に走りぬけて、突き抜けて、お金やあるいはステータスという自由の切符を手にすること。それはたぶん、何かと閉塞感ただよう今の時代、最もクールなライフスタイルの一つなんだろう。

それにしても、これが記事になるのは、先進国でこんな国がないからなんだろうなぁともつくづく思います。たぶん考えれば考えるほど、僕らの、私たちの世代と社会についてこじつけられそうな良い記事でした。

2009年7月25日土曜日

中国のUnderground Rock


清華大学公共管理学院の同級生、イギリス系スペイン人のCharles Salibaが主宰するレーベルMaybe Marsより中国人ロックバンドの超カッコいい新曲をお届け!

Maybe Marsは、たぶん今北京で最も注目されるインディーレーベルで、Charlesが同じく経営に関わっているD-22というライブハウスは、北京の新たな音楽シーンの発信基地として、欧米メディアではたびたび取り上げられている。

これはCarsick Carsが取り上げられたWall Street Journalの記事。
Rocking Beijing

ちなみに中国経済・金融市場の専門家として有名な北京大学のMichael Pettis教授も、D-22の常連です。なんか北京在住欧米人の文化コミュニティみたいなものがあるんだろうねー。

話を戻すと、留学したときに聞かせてもらったMaybe Mars Labelのいくつかの曲はいずれもサイケデリックなガレージ・ロックで、それらもかなりかっこよかったんだけど、やっぱりインディー的なせせこましさがあったような気がする。一方で、今回のCarsick Carsの完成度は本気で素晴らしい。
日本のアンダーグラウンド・ロックシーン(ってあるのかな?・・・)なんて、1分で黙らせるくらいのクオリティじゃないか。VelvetsとかJesus and Mary Chainみたい!

ちなみに僕は、北京のクラブ・シーンも結構好きです。客のノリが東京よりずっとクレイジーだし、かなり面白い造りになってるものがたくさんあるし。とにかく音楽・クラブシーンを含めて、北京という街には何か面白いことが起きそうな雰囲気がむんむんしてた気がします。
そういう”勢い”みたいなものが、東京にも欲しいなーと思う真夏の昼下がりです。

さあ十分引っ張ったところで、うわさのバンドをどうぞ。
Carsick Cars
"Invisible Love"
http://carsickcars.com/newalbum.html

2009年7月19日日曜日

Rain

Wim Wenders "Rain"

まさに名匠ヴェンダース監督の職人芸。素晴らしかった。

アメリカの地方都市、クリーヴランドを舞台に、三日間降り続ける雨とラジオ局から流されるジャズ・スタンダードの中で6人の人間のそれぞれの人生の一場面が静かに、でも鮮やかに展開される作品。チェーホフの短編をもとにしたらしいけど、それが信じられないくらい、(僕のイメージでの)現代アメリカのものすごくリアルな人間群像が展開されている感じがしました。

作中の6人の主人公は、それぞれが袋小路に陥っていて、延々と降り続く雨の中で悩み、もがいていて、本当に救いがないように思える部分もある。でも、雨がついに上がった朝に、それまでの苦しみや葛藤が彼らを連れ出した地点っていうのは、それほど劇的とはいえなくても、すがすがしくて、なんだか笑いがこみあげてくるくらい人間らしい。

観終わった後に、まさに雨が上がったときに空を見て感じる心のかすかなふるえみたいなものを残す映画です。静かな余韻がとても気持ち良い。こういう映画ってなかなか巡り合えないだろうなー。

2009年7月18日土曜日

夏休みをどう過ごすか

MERCER コラム 422
夏休みをどう過ごすか(40日の使い方)

人事コンサル・マーサーのコラムから、夏休みと時間の使い方の記事。子供のときから、こんなに計画的にものを考えてる子ってやっぱいるんだなぁというのがパッと見の薄っぺらい感想だけど、この辺の意見はある意味腑に落ちるところがある。

ある程度の自由度を持ってまとまった時間を与えられて、その中で優先順位を付けながら、やるべきこととやりたいことをこなしていく。時には自分の決めたスケジュールがきつ過ぎることにストレスを感じたり、あるいは無計画に過ごすなりに最後にどうやって帳尻を合わせるのかで苦労したりする。こうした経験は、時間の使い方に関する自分の癖を自覚したり、自分の性格に適した課題への対処方法を洗練させていったりする機会となるに違いない。


いわゆる青春もののドラマや小説、マンガには、子供の頃の夏休みを想う場面がけっこう多い。というか、いわゆる”大人”はほとんど誰しもが、夏休みに対する憧憬を少なからずもってるんじゃないだろうか。子供にとっての40日間ってほとんど永遠で、普段の学校生活では体験できないようなことができたり、自分が見ることのなかったものを見ることができたりする冒険のひと時。自由とか可能性とか、期待とか、切なさがふんだんに詰まったまさに宝箱のような時間だと思う。だからたぶん、生活が決まったパターンで流れて、休みの過ごし方も予想できて、ちょっと長い休みでも一週間程度で、1か月くらい前からそのくらいの予定なんてすべて埋められてしまう大人にとっては子供の夏休みは、どうしても取り戻せない夢なんだ。

でも、それなら(仕事を長期的に休むなり、辞めたりして)強引に取り戻そうとしたらどうなるんだろう?勤め先によってつくられている生活のリズムから離れてみたらどうなるのか。
誰も宿題を与えてくれない、ラジオ体操の参加みたいな生活のルールもつくってくれない日々は、ほんとのバランスや自信が要求される生活になると思う。僕は大学院に留学する前に1年間、ほんとに留学するのかどうかも確信しきれないような状態でいわゆるフリーターライフを送ったことがあるけど、どうしても「ほんとに留学する」にシフトして、生活を留学につながるいろんな要素で几帳面に埋めていくしかなかった。そしてそれもなかなか辛いプロセスだったと思う。結局、休みはそれなりの長さで終わりが設定されていて、周囲のみんなと一緒で、最低限のやるべき何かがあって・・・というくらい作り込まれた「生活構成のシュミレーションゲーム」くらいにとどまっていたの方が、一番楽しいんだろうなぁ。ずっと休みで行くなんて、そのときはやっぱり怖くて考えられなかったのだ。


それでも、今でも「大人のとてもワイルドな永遠の夏休み」がどこか思いっきり手を伸ばせば届くところにあると信じたいと思っています。きっと正攻法は、専門的な、あるいはクリエイティブな自営業につくことなんだろうな。それでもう遊びだか仕事だか分かんないようにして遊びまくるというw。サラリーマンは結局のところ自分で全体的な、根本的なところを考えなくて良いから楽だし、いろいろテンポ速いし、同じ境遇の人がとても多いから群れやすいし、それはそれで魅力的なところもあるんだけど・・・。この可能性はずっと視界の端っこで探すようにしよう。

ということで小学生、中学生、高校生諸君。
将来、ずっと夏休みを過ごしたかったら、休みのうちもぼーっとしすぎず、有意義な時間を過ごしてください。あるいは、逆にぼーっとしまくって、変な見栄や常識や集団意識はいっさい身につけないでくださいw。宿題だぞ。

ということで最後は、僕が夏休みのはじまりに最も聴きたい一曲!


The Thrills "Santa Cruz"

2009年7月16日木曜日

今日のmust-read

himaginaryの日記
フェリックス・サーモンのジャーナリスト向けブログ講座

あなたがジャーナリストではなくても(あるいはジャーナリストでもw)、ネット空間の端にあるこの僕のブログをちらっとでも見るような「ブロガー」なら、一読の価値ありです。

つまり、ポイントは
・ジャーナリスト的な「記事」を書く必要はない。(そんなのはたくさん書けないから、むしろ書かない方が良い)
・たくさん間違えるべき(直すのはあなたではなく、みんなだ)
・たくさんコピー・リンクすべき(つながればつながるほど、それは良いブログだ)
・たくさんコメントすべき(例えそれが的外れなものであっても、何かを投げ返すことは立派なコミュニケーションだ)

じゃあブログで僕らはいったいどこへ行けるのだろう。
少なくとも、人類補完計画が一歩前進するはず・・・w。

2009年7月14日火曜日

It's the end of ASO -as we know it-


The inept captain of a sinking ship
Tobias Harris
Foreign Policy July 9, 2009

翻訳すると、「沈みゆく船の無能な船長」という感じになる。こういう辛辣さって気持ちが良いですw。出だしの文章だけ翻訳してみよう。

G8の会合に出席するためにイタリアへ向かう前、日本の総理大臣・麻生太郎は7月12日に行われる東京都の都議会議員選挙に先立って、何度か街頭に立った。日本の首都、東京郊外のとある会場では、自身に与えられた奈落の底みたいに低調な支持率に押しつぶされたかのように彼は特にくたびれて見えた。彼は聴衆を途方に暮れさせた演説の中で、有権者はチェンジを求めるよりも、彼らの知る「悪魔」にしがみつくよう訴えた。
ある横断幕に何て書いてあったかって?
「完璧な人間なんてどこにもいない。」

横断幕の一文は何かしらの感動をそそるとしても、麻生総理大臣の時代は間もなく終わることに間違いない。でも、残念ながら昨年のアメリカと違って、日本の有権者にはオバマ氏のような輝かしい選択肢は与えられていない。正直に言って、何をどうすれば日本の政治は良くなるのかという疑問に対する具体的、実行可能なプランが誰かの頭にあるとも思えない。それでも、たとえ方向付けがなくとも、チェンジを必要として民主党に一票を入れたいっていうのが世論なんじゃないかなと思う。
実際僕は、先週の日曜日に都議選S区でそんな投票をしたばかりですw。

たしかに、具体的な道筋は見えないけれども、どんな政治が、どんな政治家が必要なのかを考えさせてくれるとても良い記事を日経ビジネスで発見しました。

「経済危機は9つの顔を持つ」 竹森俊平
ジェラルド・カーティス氏と「政治という日本の弱点」を議論する
民主党は単独過半数を目指すべき
テレビの前の国民を説得する努力を

ここで経済学者竹森俊平のインタビューを受けているのは、アメリカにおける日本政治研究の第一人者であるジェラルド・カーティス氏。彼の主張をいくつか抜き出してみる。

・かねてから批判の対照になりがちだった自民党内の派閥争いは、実質的に党内で政権交代を実現させていたようなダイナミックなシステムであり、社会にとって有益な仕組みだった。まずいのは、それが今、全く機能しなくなっていること。

・官僚を排除して政治を行うという民主党の主張はナンセンスだ。どこの国でも政権は官僚を使うものであり、官僚をどう使いこなすかということを考えるのが政治家。つまり、監督責任のある政治家が、官僚批判をするというのは自分たちが何もできないと白状しているようなものだ。

・日本には二大政党制はそぐわない。アメリカには、人種問題とか貧富の差の問題、あるいは外交問題についての態度で、はっきりした亀裂があり、その亀裂の両側に政党ができている。そして、その亀裂があまりにも定着しているために、ときおりある議題でコンセンサスに至っても、二大政党が消える恐れはない。だから重要な議題において超党派的な合意を形成できる。自民党と民主党にそれほど違いがないのは、日本人の間でそのような亀裂が今のところ存在しないから。お互いに「反対のための反対」を継続しなければいずれかの党が瓦解してしまう恐れがあり、その「存在の危機」が常に両党の合意の足かせになる。だから重要な議題においても超党派的合意を形成し、重要な政策を推進することができなくなってしまう。社会的分裂がないというのは、実は非常に良いこと。だからそれを考慮して、よりふさわしいシステムをつくっていく必要がある。

・日本人はヨーロッパ並みの福祉とアメリカ並みの税負担の二つを求めているが、それは実現不可能だ。どちらかを選ばなければならないことを、日本の政治家は正直に打ち明けるべき。うまく説明すれば日本の国民は納得するのではないか。

・政治のリーダーが持つべき最も大事なものは説得力。オバマ氏の素晴らしいところは、厳しい事実を国民に打ち明け、絶対にぶれないところ。だから経済指標が悪くなる中でも、アンケートではより多くの人が「アメリカは良い方向に向かっている」と回答してきている。日本の政治家は原稿を読むことはするが、「語りかける」ことをまったくしない。

・日本では政治報道について、マスコミの反省も必要。政治部の記者たちが書かされているのは、主に政局の話であって、政策のことではない。真に必要である情報を伝えきれていないように見える彼らこそ、「55年体制」から脱却できていないのではないか。

・政治家にはマニフェストを出させるよりタウンミーティングを行って、自由に答弁をさせるべき。マニフェストはただのリストであり、あまりにも官僚的すぎる。アメリカでもマニフェストに相当するプラットフォームはそれほど注目されない傾向がある。日本の政治家がオバマに見習うところがあるとすれば、それはテレビの前で国民に向かって分かりやすく話をすることだ。

長くなったけど・・・いや、ほんとにそういうことなんじゃないかと思いますよ、僕はw。
上記はカーティス氏の日本政治への処方箋の部分だけを抽出しているんだけど、氏は今このときに責任を負う「大統領」としてオバマ氏が成功するかどうかには懐疑的な視点を欠かしていないし、それに関連してアメリカの政治システムの弱点を日本と同じくらい指摘しているので面白いです。何よりそれを平易な言葉で語っているのがすばらしいです。

最近よく1年前の今の時期を思い出す。
ワシントンDCにいて、インターンを粛々とこなしていたけど、街がほんとにきれいでわくわくして、それに、テレビでヒラリー・クリントンとオバマのスピーチをルームメイトたちと一緒に見て、けっこう泣きそうになっていたあの季節。
政治の、選挙のプロセスって、本来自分たちの生活やアイデンティティに深くかかわるものであるはず。それに候補者たちが織りなすものすごくリアルなヒューマン・ドラマのはずだ。
たまのお休みに、もろもろのエンターテイメントを1時間諦めて投票所に行くには、やっぱり選挙がその分僕らを楽しませてくれなきゃダメなんじゃないかと思います。

最後に、カーティス氏の日本政治に対する辛辣な言葉を。
「日本のような偉大な国は、もっと立派な政治を期待する権利がある。」

そういうこと!

2009年7月11日土曜日

晴れときどき200Q

村上春樹 1Q84

そろそろいろんなところで感想も出尽くしているであろう、発売からわずか一か月で上下合わせたら150万部くらい売れたという超話題書のお話です。僕はちょっと前に買って、一週間足らずで完読しました。

小説って、いろんな人が人生のそれぞれのタイミングで様々なシチュエーションで読むものだし、ましてや受け取るものは「文字」だけなのだから、受けとり方は本当に様々で、それこそが面白いところだと思うんだけど。とりわけこの作品は、そんな小説一般の中でもおそらく読む人によって情景に全く違う色を与えられ、違うアスペクトに着目され、違う奥行を与えられるものなんじゃないかと思った。だからってつかみところがないわけじゃなくて、よくできたハリウッド映画みたいにキャッチー。なんだか奇妙で気持ち悪いし、いつから村上龍になってしまったのかと思うくらいいやに過激な表現が散らされているくせに、あいかわらずの「やれやれ」な感じもあり、なんだか開き直ったようにストレートなラブストーリーでもある。僕個人の感想は、カフカよりもさらにポップでカラフルな傑作であるということになるかもしれない。

物語中のことばで最も印象に残ったものの一つがこれ。僕の中のイメージではシティハンターの海坊主みたいな登場人物のせりふ。

「・・・光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明がつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える。」

厳しい10代を乗り越えていくための大事な風景というのは誰もが持っているものなんだろうか。自分にとってそれは一つじゃないし、どんな意味においても「実際にあった」ものとは程遠い風景な気がするけど。それでも、たしかに、その風景が全く形を変えていたとしても、いつか取り戻したいものとして、自分の中に生き続けているような気がする。

ここ最近、仕事はそれなりに単調なんだけど、けっこういろんなことがあって、それに伴っていろんな気持の推移があって、何が一番大事なのか分からなくなることがあり、ときおりぽーんと違う世界にでも迷い込んだような気分になる僕。そんなときには月が二つないかどうか、ちょっと気になってしまう。
晴れときどき200Qって、そういう移ろいがちな最近の僕の世界観のことです。ほうほう。

ということで、最後はこの小説のテーマソングをどうぞ。

P.S.
今日(7月14日)NHKのクローズアップ現代で取り上げられていました。一か月で200万部売れたそうです。失礼しましたw。
番組で取り上げられていたことで面白かったのは、外国の中でも村上作品が最も売れているという中国と、村上氏が長く滞在するアメリカでの作品の売れ方の違い。中国人の男の子が「風の歌を聴け」をフェイバリットに挙げていた一方で、アメリカで売れているのは「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」、「アフターダーク」なんだそう。初期作品って、ひねくれてクールでありながらやっぱり”アメリカン・グラフィティ”的なアメリカへの憧憬が前面に出てる気がするし、アメリカ人の心をくすぐる不可解なエキゾチックさというか、cool Japanな雰囲気はないんだろうなぁと思う。一方で、共産党独裁の中国で、(エルサレム賞のスピーチでも強調されたように)”システム”が日常に静かに振るい下ろす暴力への抵抗、人間の多様な感受性に現れる柔らかさ、あるいはそれを解き放つ可能性を持った人間という存在そのものを守りたいと考えてきた作家の作品が若い人々を中心に浸透しはじめていることは感動的だと思うのだけど、なんだかんだで暴力の理不尽さやきな臭さ、暗さが強調されがちな最近の作品よりも、高度経済成長期を背景にくすぶっている初期ものに愛着が持たれがちっていうのもけっこううなずけます。
1Q84はどちらの国でもまだ翻訳されていないらしいが...たぶんどちらでも、評価されるんじゃないかなw。
で、ノーベル賞とっちゃって欲しいです。

Janáček - Sinfonietta