村上春樹 1Q84そろそろいろんなところで感想も出尽くしているであろう、発売からわずか一か月で上下合わせたら150万部くらい売れたという超話題書のお話です。僕はちょっと前に買って、一週間足らずで完読しました。
小説って、いろんな人が人生のそれぞれのタイミングで様々なシチュエーションで読むものだし、ましてや受け取るものは「文字」だけなのだから、受けとり方は本当に様々で、それこそが面白いところだと思うんだけど。とりわけこの作品は、そんな小説一般の中でもおそらく読む人によって情景に全く違う色を与えられ、違うアスペクトに着目され、違う奥行を与えられるものなんじゃないかと思った。だからってつかみところがないわけじゃなくて、よくできたハリウッド映画みたいにキャッチー。なんだか奇妙で気持ち悪いし、いつから村上龍になってしまったのかと思うくらいいやに過激な表現が散らされているくせに、あいかわらずの「やれやれ」な感じもあり、なんだか開き直ったようにストレートなラブストーリーでもある。僕個人の感想は、カフカよりもさらにポップでカラフルな傑作であるということになるかもしれない。
物語中のことばで最も印象に残ったものの一つがこれ。僕の中のイメージではシティハンターの海坊主みたいな登場人物のせりふ。
「・・・光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明がつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える。」
厳しい10代を乗り越えていくための大事な風景というのは誰もが持っているものなんだろうか。自分にとってそれは一つじゃないし、どんな意味においても「実際にあった」ものとは程遠い風景な気がするけど。それでも、たしかに、その風景が全く形を変えていたとしても、いつか取り戻したいものとして、自分の中に生き続けているような気がする。
ここ最近、仕事はそれなりに単調なんだけど、けっこういろんなことがあって、それに伴っていろんな気持の推移があって、何が一番大事なのか分からなくなることがあり、ときおりぽーんと違う世界にでも迷い込んだような気分になる僕。そんなときには月が二つないかどうか、ちょっと気になってしまう。
晴れときどき200Qって、そういう移ろいがちな最近の僕の世界観のことです。ほうほう。
ということで、最後はこの小説のテーマソングをどうぞ。
P.S.
今日(7月14日)NHKのクローズアップ現代で取り上げられていました。一か月で200万部売れたそうです。失礼しましたw。
番組で取り上げられていたことで面白かったのは、外国の中でも村上作品が最も売れているという中国と、村上氏が長く滞在するアメリカでの作品の売れ方の違い。中国人の男の子が「風の歌を聴け」をフェイバリットに挙げていた一方で、アメリカで売れているのは「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」、「アフターダーク」なんだそう。初期作品って、ひねくれてクールでありながらやっぱり”アメリカン・グラフィティ”的なアメリカへの憧憬が前面に出てる気がするし、アメリカ人の心をくすぐる不可解なエキゾチックさというか、cool Japanな雰囲気はないんだろうなぁと思う。一方で、共産党独裁の中国で、(エルサレム賞のスピーチでも強調されたように)”システム”が日常に静かに振るい下ろす暴力への抵抗、人間の多様な感受性に現れる柔らかさ、あるいはそれを解き放つ可能性を持った人間という存在そのものを守りたいと考えてきた作家の作品が若い人々を中心に浸透しはじめていることは感動的だと思うのだけど、なんだかんだで暴力の理不尽さやきな臭さ、暗さが強調されがちな最近の作品よりも、高度経済成長期を背景にくすぶっている初期ものに愛着が持たれがちっていうのもけっこううなずけます。
1Q84はどちらの国でもまだ翻訳されていないらしいが...たぶんどちらでも、評価されるんじゃないかなw。
で、ノーベル賞とっちゃって欲しいです。
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