ニューヨーク街物語「わが家の選択 ホームスクール」
お父さんはコンピューター関連のコンサルタント、お母さんは臨床心理士を行って生計を立てていたこの家庭。転機は、長男が生まれてから訪れた。長男の子は未熟児で、生まれたときにすでに自閉症を診断された。5歳から学校に通い始めると、どこに行ってもいじめられて、転校を繰り返すことになった。最後に行った学校では、先生にまでこの子を受け持ちたくないという態度をとられ、みんなの前でこきおろされ、3週間通っただけで彼はボロボロになってしまったという。そこで、「この子を学校にやらせたくない。」と両親は決断した。
選択したのは、ホームスクーリング(より詳しい記述は英文のhomeschoolingにあり)。お母さんは臨床心理士の仕事を一時中断し、長男の教育者としての役割を担うことを選んだ。結果、伸び悩んでいた学力は向上し始めて、同学年の平均的な水準まで達した。午前中、授業の時間を終えてからは公園に行くようにすると、長男に友達もでき始めた。番組では、多くの同年代の子供と心から楽しそうに野球をする長男の姿が映った。この長男の教育で、僕が非常に興味をもったのは音楽教育。自身が「僕は話出すより先に、歌うことを覚えたんだ」というように、彼が一番好きなものは音楽だった。彼は今、他のホームスクールの子供たちと共に、かのジュリアードの講師からギターを教わっている。さらに、お母さんの計らいで、他のホームスクールの生徒たちと共同でスペイン語の教師を招き、語学の学習にも取り組み始めた※1。ホームスクーリングを支援するNPOが催しているサッカー教室にも通う。そういう意味で、学校からドロップアウトせざるを得なかった長男の教育は、多様化を図った結果、個性を伸ばす英才教育的な色彩を帯びてきているのがとても印象的だった。サッカー教室で出会った他のホームスクーリングの子供たちの声も印象的だった。「学校ではペースを合わせて他の人たちと同じことを勉強しなきゃいけないから、つまらない。とてもいい学校に入れる機会があったんだけど、そうはしなかった。だって僕はホームスクールの方が好きだから。」一方、長男の子はこう言っていた。「たまに学校に行きたいと思うときもあるよ。それはなぜかは分からない。でも、学校にはいやなやつがいっぱいいるからね!」
お母さんは、下の二人の子供も、学校には通わせないことを決めた。彼らにとっては、学校の勉強は逆に簡単すぎたのだ。分かり切ったことを説明されて、いつもぼーっとしていたという彼らは、今在宅での勉強で、同世代の子より2学年先の内容を学んでいるという。「僕の数学は5年生くらいのレベルだったのに、学校では1+1をやったんだ!」とおどけて言っていた下の子は、ホームスクールに本当に満足しているみたいだった。彼らの自信と充実感に満ちた表情はとても印象的だった。お母さんは、さらに下にいる二人の幼児も、学校に入れるつもりはないと言い切った。
1980年代から合法化の波が広がり、今ではアメリカの全州で認められているらしいホームスクーリング。2005年-2006年のある統計では、全米で190万人から240万人の子供たちが在宅で教育を受けている。一般的には、在宅で高校までの内容をカバーし、大検のようなものを受験して、大学入学をする形が多いらしい。この家庭の方針もそうだった。上記のWikipediaの英文の記事によると、在宅で教育を受けた子どもは、標準化されたテストの全ての科目において、学校教育をうけた生徒たちより30~37%も成績が良いらしい。ホームスクーリングを支援するNPOや、それによってホームスクーリングを選んだ子供たちの親のネットワークもあって、子供たちは同世代の子たちと触れ合う機会もしっかりと持つことができるから、socializationの能力の発達に関しても、どうやら決定的な問題は指摘されてないみたい。逆に子供の心理的な成長に対するホームスクーリングの効用(そして現行の学校教育が子供の精神的発達を不当に阻害していること)を主張する本や論文も以前からかなり発表されてるみたい。
一方で、ある視点から見れば、ホームスクーリングは”教育格差”を生み出す、最大の要因ともみなされるかもしれない。ある調査によると、アメリカで子供の在宅教育を行う家庭の親の収入は、平均の1.4倍で、親の学歴も高い。実際、番組で取り上げられた家庭もお母さんが心理学のPhD(博士)だったし、家庭での教育は学校でのマス教育よりも明らかにコストが高いから、そういう傾向があるというのはうなずける。でも、印象に残ったのは、「子供の成長は一人一人異なる」と言う番組での言葉。学校には「いやなやつがいっぱいいる!」という長男の言葉。長期的視野で、現実的な判断を行って、子供により適したオルタナティブな教育の機会を与えること、それは学びの選択肢の多様化であって、解放だと思う。そもそも「教育格差」っていう発想は、すべての子供が同じ成長の軌道をたどること、特定の同じ能力を成人までに得る必要があること、さらには他の人と似たような人生を歩んでいくことが幸せにつながるというアイデアを、同じ年齢なら全員横に並んで与えられた枠組みの中で”競争”してしかるべきっていう世界観を前提としている。これも、どうなの?!!
ちょっとググってみたところ、日本においてもホームスクーリングを支援するNPOが活動しているみたい。
HoSAウェブサイト
紹介文からは、どうやら子供たちにより良い教育の機会を与えるというよりは、いじめやその他の理由から学校をドロップアウトしてしまう子供たちの教育を支援しようっていう流れで、ホームスクーリングの価値が提唱されているような印象を受けます。やっぱりそこが一番切実な動機になるんだろうなぁ。アメリカよりもよっぽど学校教育に価値を置いていると思われる、そして人と違うことをものすごく恐れると思われる日本人にとっては、たとえそれが法律的には全然問題ないことであっても※2、ホームスクーリングっていう選択をすることはまだまだ非常に難しいことなのかもしれない。僕だって「普通」の青春時代を子供に与えられたら、もしかしたら彼彼女にとっては一番幸せなことなのかもしれないって思ってしまうし。だって、これだけ学園ドラマや学園マンガが隆盛しているこの社会で、そういう過程を経ずに成長した子供が同世代の子と似たような青春時代に対する憧憬を持つことができなかったら、寂しい気持ちになってしまうかもしれないとか考えるし。当人は全くそう思わなくても、僕みたいなこういう発想をする人がいたら、他人から無用な憐れみをかけられるかもしれないし、とかねw。要は僕が親になることを想像するとき、子供に特別な道を歩ませてまで「大物になってもらいたい」とか「できる人」になってもらいたいとか全然思わないってこと。普通に幸せでいてくれるのがいいかなって。
だけど、結局、ホームスクーリングっていうのは親の教育方針うんぬんには関係ないことなのかもしれない。もう一度基本に立ち返れば、それは子供がそうしたいかどうかっていう問題だから。
子供の成長を、あらゆる意味での教育者として見ていけたら、それはそれでかなり幸せな人生かもって思ってしまう。もちろん収入のことは考えなきゃいけないのだろうけどw、子供がほんとにそうしたいって言ったら、僕は自分の職業上の成功の願望なんて簡単に捨ててどうにかこうにか先生になってしまえるような気がして仕方ない。僕らの唯一の生物学的な生存理由なわけだし、やっぱ子供を持つこととその教育って人生で最も大きなやりがいのあるチャレンジの一つだよね。
その日が来るのはいつになることやら。
※1 アメリカでは普通中学校に上がるまで外国語は教えない。「12歳から勉強して話せるようになるわけねーだろ!」というアメリカ人の友人の言葉が思い出される。たしかに、移民2世はともかくとして、アメリカ人は日本人同様外国語があまり得意ではない。そういう点でも、長男はホームスクーリングを通じて英才教育を施されているといえる。
※2 日本においては就学義務が法律で定められているため、ホームスクーリングでは義務教育を履行したとみなされないってWikipediaにはある。だから一応どこかの小学校やら中学校に籍をおいて、学費を納めて、形式上は小中学校を卒業しないといけないってことになるんだろう。でも実際のところ、進学には内申書とかいう制度もあったりするし、海外に進学でも考えない限り、ホームスクーリングはやっぱり学校教育と比べて子供の進学に不利になるのではないかと思われる。ちなみに、ドイツや香港ではホームスクーリングは違法なんだそうです。
※2 日本においては就学義務が法律で定められているため、ホームスクーリングでは義務教育を履行したとみなされないってWikipediaにはある。だから一応どこかの小学校やら中学校に籍をおいて、学費を納めて、形式上は小中学校を卒業しないといけないってことになるんだろう。でも実際のところ、進学には内申書とかいう制度もあったりするし、海外に進学でも考えない限り、ホームスクーリングはやっぱり学校教育と比べて子供の進学に不利になるのではないかと思われる。ちなみに、ドイツや香港ではホームスクーリングは違法なんだそうです。
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