2009年10月13日火曜日

Million Dollar Baby

Million Dollar Baby

長い間見よう見ようと思っていて、でも少なくとも僕の近所のTSUTAYAではなぜか全部レンタルされていて、ようやく今日見たこの映画。歴史に残る名画です。僕は今風邪をひいていてどう考えても早く寝るべきなのですが、これを書かずには寝られません。

僕は怖いものが大の苦手なので、怖すぎて最後まで見られなかった「リング」という事例はあったものの、胸が苦しすぎて一時停止しないと最後まで観られなかった映画なんてこれまでなかったんじゃないだろうか。ヒラリー・スワンクが本当に魅力的で、僕なんかはほとんど恋におちかけていました。それだけに、本当に心を縦横無尽にかきむしられたよ、クリントさん。

でも、とにかく観て良かった―って個人的にはほんとに心から思える一本。そして誰かと「この映画やばいよなー」って心からシェアしたくなる一本。ああ、生きよう!!

2009年9月20日日曜日

陰の中のきらめきたち

隠岐・西ノ島にて (September, 2009)

久しぶりの更新は、仕事についての話。

僕は、とてもおおまかに言って、全国で非営利目的で活動している様々な団体を支援する仕事を行っている。「非営利目的で活動している団体」と言っても、各団体には「収益をあげること」以外のある意味無限の目的があるし、形態や規模は本当にさまざまで、いわゆるNPO法人(特定非営利活動法人)以外にも財団、社団、社会福祉法人のみならず、法人格を持っていないボランティア団体までお客さんとしている。そのほとんどは、一般の人が新聞やテレビではほとんど目にすることがない団体だと思う。仕事を始めてから、世の中にはこんなにたくさんのわけのわからない「団体」があるんだなぁとつくづく思う。

わけのわからないというとネガティブな印象を与えてしまうかもしれないけど、決して僕はそういう意味でこの言葉を使ったわけじゃない。形態は違っても、団体って、個人の力を超えた大きなもの(たぶん社会という言葉を使ってよいのだろう)に対して”何か”をしようとする複数の人たちの意志がとった形であるはずだ。その何かとは、毎週月曜日に近所の道路のごみを拾うことかもしれないし、アフリカの子供たちに教育の機会を提供することかもしれないし、絶滅しそうな小魚を守ることかもしれないし、あるいは表面的にはどうであれ、ほんとのところは例えば天下りのポストとか、既得権益を確保することかもしれない。いずれにせよ、社会に何かを与えようとする、あるいは社会から何かを守ろうとする集団的意思が法律に従ってとったそれぞれの形が、”団体”となって社会に表れている。人々が社会との多様なかかわり方を模索してきた結果としての”団体”は、ネーミングセンスの多様さも含めて、個人的には存在自体がけっこうラブリーだと思う。たくさんのわけがわからない団体がいるってことは、それだけ人々の価値のメニューが多様化していて、いろんな利害が複雑に絡み合っていて、社会とのいろんなかかわり方が模索されているっていうことだ。

話がずいぶん脱線したけど、とにかく僕は、会社以外のいろんな団体さんの応援をするという仕事をしている。それは彼らの意思をシェアして、自分たちの代わりに現場に立っている彼らを後方支援するという仕事だ。その仕事には、いろんな団体さんは全国に散らばっているので、東京のオフィスにとどまっていては、実際に彼らが誰で、どんな動機で何をどこでどのくらいの期間でどうやろうとしていて、どんな課題に向き合っているのかがリアルに分からないという問題がある。そこで、簡単なauditの意味も兼ねて、応援している全国の団体さんの活動状況を確認するために現場を訪れるというのが大事な仕事の一部になっている。それに加えて、今後支援していく事業の掘り起こし調査を行うために現場に行く必要もある。仕事を始めて最初の夏、僕はこれまで訪れることのなかった―そして多くの人が、そこにあえて行こうとも思わないだろう―地方のいくつかの小さな町に行く機会を得た。

琵琶湖湖畔では、障害者と健常者の作品を区別なく展示するアート・ギャラリーを訪れた。障害者福祉の先進県であるらしい滋賀県では、長きにわたって粘土造形などを通じて障害者”教育”を行ってきたらしいけど、一方で、「障害者の芸術活動は教育の一環である」という意識を定着化させ、作品自体の価値については見過ごされてきたらしい。何かを表現する欲求は、障害の有無にかかわらず人が持っている自然な衝動であるという認識のもと、障害者の作品も正当に評価されることを目指してこのギャラリーでは障害者と健常者の作品をいっさい区別せず展示をするという先進的取り組みを行っていた。開館から5年が経過したが、障害を持つ日本人アーティストたちの作品はまず海外から評価され、世界に名だたるパリ市内の美術館での展示に向けて関係者が準備を行っているところだった。表現、作品の評価、そして作品の売買といったところで、人々の意識や日本の法制度における障害者の権利の不十分さが浮き彫りになる。芸術と福祉が交差するこの場所では、本当に福祉をフィールドとする人たちと美術関係者が一緒になって夢中で働いていた。

福井県の西側にある小さな町では、湖のしじみを増やす活動をしている方と会った。しじみの水質浄化作用を使って湖をきれいにするために、また、しじみを福井の名産品の一つにするために精力的に活動していた。退職後はじめたこの事業について、奥さんはお金にならないのだからと反対しているらしいけど、おじさんは「ビジネスっちゅうことでやっているけど、どうしてもボランティアばかりになっちゃう。」と笑いながら本当に丁寧に事業について説明してくれた。「もともと話すのは苦手だけど、誰かに自分のしていることについて話す機会がもらえるのはありがたいことだから、できるだけきちんと伝えるように心がけとるんですよ。」と言っていた。おじさんの笑顔には、なんとも言えない突き抜けるような魅力があった。活動拠点は、しじみをはじめ地元の食材を使った料理を提供するカフェスペースになっていて地元の人たちの交流の場になっていた。地元バンドを集めたライブもそこで開かれるんだそう。そこで聞かせてもらったしじみの歌は、上品なポップソングだった。しじみの味噌汁もほんとに美味かった。

隠岐の海士町(あまちょう)は、今とても面白いことになっている。一部をとりあげると、小学生は卒業前に町長に直接町の政策について提案を行い、中学生は東京の若手企業家たちから講義を受け、修学旅行では東大に行って講義をする。島前3島で唯一の高校であり、廃校の危機にひんしている島前高校は、8月「観光甲子園」で参加した全国百数十校の頂点に立った。月給15万が支払われ、1年間を好きに使って「島の宝物」(新たなビジネス・シーズ)を探してもらうという商品開発研修生制度によって島外から若者が入り、定住してコミュニティビジネスを起業する事例も出てきている。そういった一連の先進的な政策は、給料の自主カットによって賃金が全国最低レベルとなった町職員たちによって考案され、動かされてきた。華々しい経歴を持つIターンの人たちだけでなく、地元の人たちも情熱によって突き動かされ仕事をしている島。この島でお話を伺った人たちは、いずれも僕に鮮烈な印象を残した。

こんな感じで、僕はこの夏、日本でもあまりスポットライトの当たらない地域で、さまざまに、でも一様に情熱的に社会とのベターなかかわり方を模索している人たちの顔を見ることができた。彼らと話していると、日本での人生にもたくさんのalternativeがあること、そしてそれだけいろいろなよろこびやうれしさがあることが実感できた。そういうときって、ほんとにスカッとした気分になる。たぶん、今の仕事の一番の醍醐味なんだろう。そういう人たちにもっとスポットライトを当てることが、僕の大事な仕事の一つ。だから、自分が見たこと、聞いたことはいろんな場面で積極的に伝えていきたいと思う。
しじみのおじさんを見習ってさ。

ということで、最後に曲まで貼ってしまおう。おととい久しぶりにLast Waltz見たら、あまりの感動と気持ちよさにぶるぶるでした。

The Band - The Night They Drove Old Dixie Down


2009年8月24日月曜日

秋の足音、でも夏について日記を書いたっけ

夜外を歩くと、風がかなりさわやかになっていることに気づく今日この頃。ときに突き抜けるように心が晴れるけど、気づけばまたなんだか薄めのフィルターがかかったように曇り始めるのがここ数か月の僕の精神状態なんだけど、それはどうやら変わっていない様子。今日はがっつり仕事に集中して上がった時は悪くない気分だったんだけど、夜簿記の学校で授業を受けているときに「あー、おれは今後どうやって生きていけばよいのだ」という気分になった。それはたぶん、先週出張で一回授業をさぼってしまったために、ミニテストが全く解けなかったことにも大きく依存しているんだろうけど。おいおい、いいのかこのスケールの小ささ。

とにかく、僕はときに自分をとらえる閉塞感みたいなものを根っこから取り除く必要を感じている。でもそれには一つ一つ、引き延ばしてきた課題を片づけていくしかないんじゃないかと考えて、今日はずーっと引き延ばしてきた新聞の購読に踏み切った。ひとまず一年は、日経新聞を読むことにした。たぶん自分の勉強のためにはEconomist誌とかを気合い入れて読んだ方が良いんだろうけど、自分には最近付き合いが多いけど共有するものがとっても少ない気がするおじさんたちとコミュニケートするための共通言語を取得する方が重要な気がした。2ヶ月後に後悔していないことを願う。

なんだか上記の話題と矛盾するようでなんだけど、自分で読みたいと思った本を読めていないのもけっこうよくない。入社1年目の僕には課題図書なるものが課されていて、7冊だか8冊だかの本を8月末までに読まなきゃいけなかったんだけど、「別にそれほどつまらないわけでもないけど、そんなにおもしろくねーな」と思いながらだらだらと時間をかけたためにまだ課題図書が片付いていないのだ。読みたいっていう気持ちではなく、必要性に駆られてほそぼそと読んでいる、これも僕の気分を微妙に盛り下げる要因になっている気がするので、課題図書は早々に片づけなければならない。こういうところこそまさに大学院生活で培ったスキミングの要領の発揮しなければだめなところな気がする。

小さな懸念事項をしっかり処理すると、なんだか意外なほどに視界が開けることがあるっていうのは僕が大学院のときに常々感じていたこと。ひさびさの日記が簿記やら日経の購読やら課題図書やらとただ必要性と事務性に彩られたせせこましい内容になってしまったことは懸念に値するけど、それでももっと懸念事項となっていたこのブログの更新ができるってことを前進と捉えて、今夜のおやすみなさいに代えます。

あと、最後にのりぴーについての過剰な報道は控えてほしいです。何か大事なものから僕たちの目をそらしているような気がしてなりません。
おやすみなさい。

2009年7月28日火曜日

Hostessing in Japan

欧米メディアの注意を引くことは、ここ5年くらいで隣国の中国に奪われる形で圧倒的に減っただろうと思われる日本。それでも世界に名だたる日本女子や独特のユース・カルチャーの動向はまだまだネタになるのかな。ということで、今日のNY Timesに掲載された記事。

Young Japanese Women Vie for Once-Scorned Job
NY Times

最近は以前より多様なバックグラウンドを持つ女の子が、ホステス(キャバ嬢)として働くことを希望しているとのこと。驚きのエピソードは、ホステスとして働く女の子のリクルーティング、つまりキャッチが女の子が親と一緒にいる場合でも成功する例が出てきたということ。これまた驚きだけど、女子高校生1154人を対象とした今年の調査で、人気の職業40種の中でホステスは12位になったんだって(公務員18位、ナース22位)。この人気は本物と言ってよいような気がします。

簡単に年収1000万、うまくいけば年収3000万超。同年代の女性派遣社員の10倍に相当するらしい給料は、たしかに魅力的だけど、たぶん女の子をひきつけているのはそれだけじゃない。まずは、なんとなくクリエイティブなイメージ。ホステスあがりの女性がビジネス書やノベルなどを出版してヒットしたり、アクセサリーやファッションブランドを立ち上げたり、衆議院議員になってたり、世間では元ホステスの人たちのいろんな成功例が注目を集めている。たしかに、ホステス業を、自営業的成功への踏み石として考えてお金を稼いだり人脈をつくってる女の子もいると思うけど、イメージ向上はそれだけでは説明がつかないような気が。

そんな風に考えたら、記事に出てくる”independent”って言葉が気になった。ホステスのイメージでクリエイティビティより強く浮かぶのは、たぶん世知に長けたしたたかさだと思う。夜の街を颯爽と歩いて、客の誘いを体よく断って、同僚たちとの微妙な競争関係や友人関係の中で綱渡りで手にするランクや高収入が裏付けるのは彼女たちの確固たる”independence”なのかもしれないなぁって。そのプロセスって、ある種の典型的な「成人の儀式」だし、過酷な労働条件やスケジュール、それと対照的な華やかな衣装や店の内装は儀式をロマンティックに仕立てるのに十分。大人の女とか、独立したいい女への修行として、キャバ嬢を通過することを選ぶ女の子もきっと多いんだろう。

一方で、「ホステスとして高収入を得られるのは若いときの10年くらいだけ」という女子高校生のセリフは、投資銀行への就職を希望していた、とても意欲的な数人の知人を僕に思い出させた。10年ももたないかもしれないけど、10年やる気で死ぬ気でがんばれば、あとは人生好きなことを楽しくやっていける、そんなことを彼ら彼女らは言っていた。そこの人生観はエリートとホステス本気志望の女子高生でほとんど違いがない。厳しくて、世知辛そうな世の中を一気に走りぬけて、突き抜けて、お金やあるいはステータスという自由の切符を手にすること。それはたぶん、何かと閉塞感ただよう今の時代、最もクールなライフスタイルの一つなんだろう。

それにしても、これが記事になるのは、先進国でこんな国がないからなんだろうなぁともつくづく思います。たぶん考えれば考えるほど、僕らの、私たちの世代と社会についてこじつけられそうな良い記事でした。

2009年7月25日土曜日

中国のUnderground Rock


清華大学公共管理学院の同級生、イギリス系スペイン人のCharles Salibaが主宰するレーベルMaybe Marsより中国人ロックバンドの超カッコいい新曲をお届け!

Maybe Marsは、たぶん今北京で最も注目されるインディーレーベルで、Charlesが同じく経営に関わっているD-22というライブハウスは、北京の新たな音楽シーンの発信基地として、欧米メディアではたびたび取り上げられている。

これはCarsick Carsが取り上げられたWall Street Journalの記事。
Rocking Beijing

ちなみに中国経済・金融市場の専門家として有名な北京大学のMichael Pettis教授も、D-22の常連です。なんか北京在住欧米人の文化コミュニティみたいなものがあるんだろうねー。

話を戻すと、留学したときに聞かせてもらったMaybe Mars Labelのいくつかの曲はいずれもサイケデリックなガレージ・ロックで、それらもかなりかっこよかったんだけど、やっぱりインディー的なせせこましさがあったような気がする。一方で、今回のCarsick Carsの完成度は本気で素晴らしい。
日本のアンダーグラウンド・ロックシーン(ってあるのかな?・・・)なんて、1分で黙らせるくらいのクオリティじゃないか。VelvetsとかJesus and Mary Chainみたい!

ちなみに僕は、北京のクラブ・シーンも結構好きです。客のノリが東京よりずっとクレイジーだし、かなり面白い造りになってるものがたくさんあるし。とにかく音楽・クラブシーンを含めて、北京という街には何か面白いことが起きそうな雰囲気がむんむんしてた気がします。
そういう”勢い”みたいなものが、東京にも欲しいなーと思う真夏の昼下がりです。

さあ十分引っ張ったところで、うわさのバンドをどうぞ。
Carsick Cars
"Invisible Love"
http://carsickcars.com/newalbum.html

2009年7月19日日曜日

Rain

Wim Wenders "Rain"

まさに名匠ヴェンダース監督の職人芸。素晴らしかった。

アメリカの地方都市、クリーヴランドを舞台に、三日間降り続ける雨とラジオ局から流されるジャズ・スタンダードの中で6人の人間のそれぞれの人生の一場面が静かに、でも鮮やかに展開される作品。チェーホフの短編をもとにしたらしいけど、それが信じられないくらい、(僕のイメージでの)現代アメリカのものすごくリアルな人間群像が展開されている感じがしました。

作中の6人の主人公は、それぞれが袋小路に陥っていて、延々と降り続く雨の中で悩み、もがいていて、本当に救いがないように思える部分もある。でも、雨がついに上がった朝に、それまでの苦しみや葛藤が彼らを連れ出した地点っていうのは、それほど劇的とはいえなくても、すがすがしくて、なんだか笑いがこみあげてくるくらい人間らしい。

観終わった後に、まさに雨が上がったときに空を見て感じる心のかすかなふるえみたいなものを残す映画です。静かな余韻がとても気持ち良い。こういう映画ってなかなか巡り合えないだろうなー。

2009年7月18日土曜日

夏休みをどう過ごすか

MERCER コラム 422
夏休みをどう過ごすか(40日の使い方)

人事コンサル・マーサーのコラムから、夏休みと時間の使い方の記事。子供のときから、こんなに計画的にものを考えてる子ってやっぱいるんだなぁというのがパッと見の薄っぺらい感想だけど、この辺の意見はある意味腑に落ちるところがある。

ある程度の自由度を持ってまとまった時間を与えられて、その中で優先順位を付けながら、やるべきこととやりたいことをこなしていく。時には自分の決めたスケジュールがきつ過ぎることにストレスを感じたり、あるいは無計画に過ごすなりに最後にどうやって帳尻を合わせるのかで苦労したりする。こうした経験は、時間の使い方に関する自分の癖を自覚したり、自分の性格に適した課題への対処方法を洗練させていったりする機会となるに違いない。


いわゆる青春もののドラマや小説、マンガには、子供の頃の夏休みを想う場面がけっこう多い。というか、いわゆる”大人”はほとんど誰しもが、夏休みに対する憧憬を少なからずもってるんじゃないだろうか。子供にとっての40日間ってほとんど永遠で、普段の学校生活では体験できないようなことができたり、自分が見ることのなかったものを見ることができたりする冒険のひと時。自由とか可能性とか、期待とか、切なさがふんだんに詰まったまさに宝箱のような時間だと思う。だからたぶん、生活が決まったパターンで流れて、休みの過ごし方も予想できて、ちょっと長い休みでも一週間程度で、1か月くらい前からそのくらいの予定なんてすべて埋められてしまう大人にとっては子供の夏休みは、どうしても取り戻せない夢なんだ。

でも、それなら(仕事を長期的に休むなり、辞めたりして)強引に取り戻そうとしたらどうなるんだろう?勤め先によってつくられている生活のリズムから離れてみたらどうなるのか。
誰も宿題を与えてくれない、ラジオ体操の参加みたいな生活のルールもつくってくれない日々は、ほんとのバランスや自信が要求される生活になると思う。僕は大学院に留学する前に1年間、ほんとに留学するのかどうかも確信しきれないような状態でいわゆるフリーターライフを送ったことがあるけど、どうしても「ほんとに留学する」にシフトして、生活を留学につながるいろんな要素で几帳面に埋めていくしかなかった。そしてそれもなかなか辛いプロセスだったと思う。結局、休みはそれなりの長さで終わりが設定されていて、周囲のみんなと一緒で、最低限のやるべき何かがあって・・・というくらい作り込まれた「生活構成のシュミレーションゲーム」くらいにとどまっていたの方が、一番楽しいんだろうなぁ。ずっと休みで行くなんて、そのときはやっぱり怖くて考えられなかったのだ。


それでも、今でも「大人のとてもワイルドな永遠の夏休み」がどこか思いっきり手を伸ばせば届くところにあると信じたいと思っています。きっと正攻法は、専門的な、あるいはクリエイティブな自営業につくことなんだろうな。それでもう遊びだか仕事だか分かんないようにして遊びまくるというw。サラリーマンは結局のところ自分で全体的な、根本的なところを考えなくて良いから楽だし、いろいろテンポ速いし、同じ境遇の人がとても多いから群れやすいし、それはそれで魅力的なところもあるんだけど・・・。この可能性はずっと視界の端っこで探すようにしよう。

ということで小学生、中学生、高校生諸君。
将来、ずっと夏休みを過ごしたかったら、休みのうちもぼーっとしすぎず、有意義な時間を過ごしてください。あるいは、逆にぼーっとしまくって、変な見栄や常識や集団意識はいっさい身につけないでくださいw。宿題だぞ。

ということで最後は、僕が夏休みのはじまりに最も聴きたい一曲!


The Thrills "Santa Cruz"

2009年7月16日木曜日

今日のmust-read

himaginaryの日記
フェリックス・サーモンのジャーナリスト向けブログ講座

あなたがジャーナリストではなくても(あるいはジャーナリストでもw)、ネット空間の端にあるこの僕のブログをちらっとでも見るような「ブロガー」なら、一読の価値ありです。

つまり、ポイントは
・ジャーナリスト的な「記事」を書く必要はない。(そんなのはたくさん書けないから、むしろ書かない方が良い)
・たくさん間違えるべき(直すのはあなたではなく、みんなだ)
・たくさんコピー・リンクすべき(つながればつながるほど、それは良いブログだ)
・たくさんコメントすべき(例えそれが的外れなものであっても、何かを投げ返すことは立派なコミュニケーションだ)

じゃあブログで僕らはいったいどこへ行けるのだろう。
少なくとも、人類補完計画が一歩前進するはず・・・w。

2009年7月14日火曜日

It's the end of ASO -as we know it-


The inept captain of a sinking ship
Tobias Harris
Foreign Policy July 9, 2009

翻訳すると、「沈みゆく船の無能な船長」という感じになる。こういう辛辣さって気持ちが良いですw。出だしの文章だけ翻訳してみよう。

G8の会合に出席するためにイタリアへ向かう前、日本の総理大臣・麻生太郎は7月12日に行われる東京都の都議会議員選挙に先立って、何度か街頭に立った。日本の首都、東京郊外のとある会場では、自身に与えられた奈落の底みたいに低調な支持率に押しつぶされたかのように彼は特にくたびれて見えた。彼は聴衆を途方に暮れさせた演説の中で、有権者はチェンジを求めるよりも、彼らの知る「悪魔」にしがみつくよう訴えた。
ある横断幕に何て書いてあったかって?
「完璧な人間なんてどこにもいない。」

横断幕の一文は何かしらの感動をそそるとしても、麻生総理大臣の時代は間もなく終わることに間違いない。でも、残念ながら昨年のアメリカと違って、日本の有権者にはオバマ氏のような輝かしい選択肢は与えられていない。正直に言って、何をどうすれば日本の政治は良くなるのかという疑問に対する具体的、実行可能なプランが誰かの頭にあるとも思えない。それでも、たとえ方向付けがなくとも、チェンジを必要として民主党に一票を入れたいっていうのが世論なんじゃないかなと思う。
実際僕は、先週の日曜日に都議選S区でそんな投票をしたばかりですw。

たしかに、具体的な道筋は見えないけれども、どんな政治が、どんな政治家が必要なのかを考えさせてくれるとても良い記事を日経ビジネスで発見しました。

「経済危機は9つの顔を持つ」 竹森俊平
ジェラルド・カーティス氏と「政治という日本の弱点」を議論する
民主党は単独過半数を目指すべき
テレビの前の国民を説得する努力を

ここで経済学者竹森俊平のインタビューを受けているのは、アメリカにおける日本政治研究の第一人者であるジェラルド・カーティス氏。彼の主張をいくつか抜き出してみる。

・かねてから批判の対照になりがちだった自民党内の派閥争いは、実質的に党内で政権交代を実現させていたようなダイナミックなシステムであり、社会にとって有益な仕組みだった。まずいのは、それが今、全く機能しなくなっていること。

・官僚を排除して政治を行うという民主党の主張はナンセンスだ。どこの国でも政権は官僚を使うものであり、官僚をどう使いこなすかということを考えるのが政治家。つまり、監督責任のある政治家が、官僚批判をするというのは自分たちが何もできないと白状しているようなものだ。

・日本には二大政党制はそぐわない。アメリカには、人種問題とか貧富の差の問題、あるいは外交問題についての態度で、はっきりした亀裂があり、その亀裂の両側に政党ができている。そして、その亀裂があまりにも定着しているために、ときおりある議題でコンセンサスに至っても、二大政党が消える恐れはない。だから重要な議題において超党派的な合意を形成できる。自民党と民主党にそれほど違いがないのは、日本人の間でそのような亀裂が今のところ存在しないから。お互いに「反対のための反対」を継続しなければいずれかの党が瓦解してしまう恐れがあり、その「存在の危機」が常に両党の合意の足かせになる。だから重要な議題においても超党派的合意を形成し、重要な政策を推進することができなくなってしまう。社会的分裂がないというのは、実は非常に良いこと。だからそれを考慮して、よりふさわしいシステムをつくっていく必要がある。

・日本人はヨーロッパ並みの福祉とアメリカ並みの税負担の二つを求めているが、それは実現不可能だ。どちらかを選ばなければならないことを、日本の政治家は正直に打ち明けるべき。うまく説明すれば日本の国民は納得するのではないか。

・政治のリーダーが持つべき最も大事なものは説得力。オバマ氏の素晴らしいところは、厳しい事実を国民に打ち明け、絶対にぶれないところ。だから経済指標が悪くなる中でも、アンケートではより多くの人が「アメリカは良い方向に向かっている」と回答してきている。日本の政治家は原稿を読むことはするが、「語りかける」ことをまったくしない。

・日本では政治報道について、マスコミの反省も必要。政治部の記者たちが書かされているのは、主に政局の話であって、政策のことではない。真に必要である情報を伝えきれていないように見える彼らこそ、「55年体制」から脱却できていないのではないか。

・政治家にはマニフェストを出させるよりタウンミーティングを行って、自由に答弁をさせるべき。マニフェストはただのリストであり、あまりにも官僚的すぎる。アメリカでもマニフェストに相当するプラットフォームはそれほど注目されない傾向がある。日本の政治家がオバマに見習うところがあるとすれば、それはテレビの前で国民に向かって分かりやすく話をすることだ。

長くなったけど・・・いや、ほんとにそういうことなんじゃないかと思いますよ、僕はw。
上記はカーティス氏の日本政治への処方箋の部分だけを抽出しているんだけど、氏は今このときに責任を負う「大統領」としてオバマ氏が成功するかどうかには懐疑的な視点を欠かしていないし、それに関連してアメリカの政治システムの弱点を日本と同じくらい指摘しているので面白いです。何よりそれを平易な言葉で語っているのがすばらしいです。

最近よく1年前の今の時期を思い出す。
ワシントンDCにいて、インターンを粛々とこなしていたけど、街がほんとにきれいでわくわくして、それに、テレビでヒラリー・クリントンとオバマのスピーチをルームメイトたちと一緒に見て、けっこう泣きそうになっていたあの季節。
政治の、選挙のプロセスって、本来自分たちの生活やアイデンティティに深くかかわるものであるはず。それに候補者たちが織りなすものすごくリアルなヒューマン・ドラマのはずだ。
たまのお休みに、もろもろのエンターテイメントを1時間諦めて投票所に行くには、やっぱり選挙がその分僕らを楽しませてくれなきゃダメなんじゃないかと思います。

最後に、カーティス氏の日本政治に対する辛辣な言葉を。
「日本のような偉大な国は、もっと立派な政治を期待する権利がある。」

そういうこと!

2009年7月11日土曜日

晴れときどき200Q

村上春樹 1Q84

そろそろいろんなところで感想も出尽くしているであろう、発売からわずか一か月で上下合わせたら150万部くらい売れたという超話題書のお話です。僕はちょっと前に買って、一週間足らずで完読しました。

小説って、いろんな人が人生のそれぞれのタイミングで様々なシチュエーションで読むものだし、ましてや受け取るものは「文字」だけなのだから、受けとり方は本当に様々で、それこそが面白いところだと思うんだけど。とりわけこの作品は、そんな小説一般の中でもおそらく読む人によって情景に全く違う色を与えられ、違うアスペクトに着目され、違う奥行を与えられるものなんじゃないかと思った。だからってつかみところがないわけじゃなくて、よくできたハリウッド映画みたいにキャッチー。なんだか奇妙で気持ち悪いし、いつから村上龍になってしまったのかと思うくらいいやに過激な表現が散らされているくせに、あいかわらずの「やれやれ」な感じもあり、なんだか開き直ったようにストレートなラブストーリーでもある。僕個人の感想は、カフカよりもさらにポップでカラフルな傑作であるということになるかもしれない。

物語中のことばで最も印象に残ったものの一つがこれ。僕の中のイメージではシティハンターの海坊主みたいな登場人物のせりふ。

「・・・光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明がつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える。」

厳しい10代を乗り越えていくための大事な風景というのは誰もが持っているものなんだろうか。自分にとってそれは一つじゃないし、どんな意味においても「実際にあった」ものとは程遠い風景な気がするけど。それでも、たしかに、その風景が全く形を変えていたとしても、いつか取り戻したいものとして、自分の中に生き続けているような気がする。

ここ最近、仕事はそれなりに単調なんだけど、けっこういろんなことがあって、それに伴っていろんな気持の推移があって、何が一番大事なのか分からなくなることがあり、ときおりぽーんと違う世界にでも迷い込んだような気分になる僕。そんなときには月が二つないかどうか、ちょっと気になってしまう。
晴れときどき200Qって、そういう移ろいがちな最近の僕の世界観のことです。ほうほう。

ということで、最後はこの小説のテーマソングをどうぞ。

P.S.
今日(7月14日)NHKのクローズアップ現代で取り上げられていました。一か月で200万部売れたそうです。失礼しましたw。
番組で取り上げられていたことで面白かったのは、外国の中でも村上作品が最も売れているという中国と、村上氏が長く滞在するアメリカでの作品の売れ方の違い。中国人の男の子が「風の歌を聴け」をフェイバリットに挙げていた一方で、アメリカで売れているのは「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」、「アフターダーク」なんだそう。初期作品って、ひねくれてクールでありながらやっぱり”アメリカン・グラフィティ”的なアメリカへの憧憬が前面に出てる気がするし、アメリカ人の心をくすぐる不可解なエキゾチックさというか、cool Japanな雰囲気はないんだろうなぁと思う。一方で、共産党独裁の中国で、(エルサレム賞のスピーチでも強調されたように)”システム”が日常に静かに振るい下ろす暴力への抵抗、人間の多様な感受性に現れる柔らかさ、あるいはそれを解き放つ可能性を持った人間という存在そのものを守りたいと考えてきた作家の作品が若い人々を中心に浸透しはじめていることは感動的だと思うのだけど、なんだかんだで暴力の理不尽さやきな臭さ、暗さが強調されがちな最近の作品よりも、高度経済成長期を背景にくすぶっている初期ものに愛着が持たれがちっていうのもけっこううなずけます。
1Q84はどちらの国でもまだ翻訳されていないらしいが...たぶんどちらでも、評価されるんじゃないかなw。
で、ノーベル賞とっちゃって欲しいです。

Janáček - Sinfonietta


2009年6月21日日曜日

人は孤島ではない

About a boy

更新がだいぶ滞ってしまった。平日の夜とか、週末の限られた時間は、なんとか続けている運動とか、最近小説の比率が限りなく高まっている読書とか、4月から週2回通っている簿記の学校とか、遊びに消えて行き、気がついたらあっという間に時間が過ぎている。この前、会社で一日中保管書類の整理をやらされたときに、地下室でせっせと書類からバインダーを外すという高度な仕事を一緒にやった元船乗りの嘱託職員、Mさんが「社会人になったら、時間は一気に加速度を増していきますからな。しっかりしないと。」と言っていたのが思い出される。

Mさんとはバインダーを外しながら一通り人生観談義をしたんだけど、話の多くを占めたのは女性、というか結婚についてだった。「私は若いころずいぶん遊んで結婚が遅くなってしまった身だから言うんだが、結婚は早ければ早いに越したことはない。」とか。「結婚する相手の第一の条件は、”アゲマン”ってことでしょうなぁ。第二に、周囲の人のために何かをするのが好きっていうことでしょう。料理は結婚するときにうまくなくてもよいが、誰かのために料理をするのが好きっていう気持ちがあるのが大事なんですよ。」とか。基本的に、業務上の意思伝達があまり上手でなく、不器用なMさんなのだが、こういう話についてはけっこう気の利いた言葉できちんとしゃべっていた。そのギャップゆえなのか、Mさんが言っていたこうした言葉は奇妙に僕の心に残っている。中でも心に残ったのはこんな内容の言葉だった。「結婚をする、ある誰かを人生のパートナーにするということは、それまでと全く違う人生観を持つっていうことなんですよ。そりゃあ楽しいことです。それに私は結婚生活を始めてから、独身のうちにいろんなものを無駄にしてきたような感じがするんですよ。だって、酒と夜遊びなしに長く独身でいられる男なんていないでしょう。私は独身のうちに家が一軒建つ分のお金とたくさんの時間を浪費しましたよ。結婚っていうと、要は覚悟の問題なんですが、こういう話をするような人が周りにいて、ポンと背中を押されるのが肝心なんですw。」

たしかに、結婚についてこうやって良いイメージを持たせてくれる人生の先輩がいるっていうのは大事なんだろうなぁ。誰かが自分の生活の中に、深く入り込んでいるっていうこと、それはある種ののストレスを伴うものかもしれないけど、それができるってやっぱり素敵なことなのだ。

ここでようやく話が冒頭に張り付けたAbout a boyになるんですが、今日久しぶりに自分で作った美味しいカレーを食べながら観たせいもあって、素晴らしく良かったです。悠々自適の暮らしをする38歳の独身遊び人(ヒュー・グラント)が、一人の少年と”友情”を深めることで少しだけ変わっていくというコメディ映画。僕はこの映画のサントラをずっとへヴィリスニングしていたのに、一回も観たことがなかったのです。原作はニック・ホーンビィで、これまた僕の大好きな映画「ハイ・フィデリティ」の後に書かれた小説が元になっているので、なんで見なかったのかがぜん不思議です。

僕は正直に言って、僕の周囲の人たちがあほみたいに駆け回ってる子供を見かけるたびにそうもらすほど、子供一般をかわいいと思うわけじゃないし、別に好きじゃない。だからヒューグラントがだるそうにしているところにかなりシンパシーを覚える。でも、この映画のマーカスを見ていて、最終的にはあのくらいの歳の生意気な友達が欲しいってけっこう本気で思ってしまったw。その友達欲しさに、結婚して子供をつくっても良いんじゃないかな。きっと、子供といつか酒を飲みたいとかいう父親の心境って、そういう素敵な友達感覚なんだと思う。それに、それなりに年をとっていけば、知らず知らずのうちに失ってしまう頑なさや勇気や正義感は、きっと子供から人生のある時点で再び学んでいくべきものなんじゃないかなとも思った。

と、こういうことを書いているからって特に結婚の予定があるわけでもないんだけど。でも、人は孤島ではないっていうボン・ジョヴィの言葉(w)には、やっぱりそれなりの素敵さを感じざるを得ないってことです。一方で、「そんなのはウソだ。俺はイビサ島だ!」っていう主人公のセリフも同等に素敵だと思いますがw。

ということでほんとに良かったこの映画。音楽も間違いなく最高です。

Badly Drawn Boy "Something to talk about"

2009年5月24日日曜日

元気にやっています

ブログの更新がここのところものすごく滞っていますが、元気にやっています。もはや誰が見ているのかっていう話なんだけどw。

最近、仕事で最初の山が来てました。新人としてはかなり早い段階でたくさんのお客さんを抱えさえられて、全国各地で地域のために何かやってやろうという考えを持つ人たち(8割はおじさん)と連日主に電話で、たまーにface to faceの面談で話をするということに追われていました。これが今後の僕のメインの仕事に当たるんだけど、あらゆる事業に共通する計画上での、遂行上での要点っていうのは僕の中に持っていなくちゃいけないんだなって実感。それさえあれば、どんな専門家に対してだって僕みたいなジェネラリストの若造がものを申す事ができるというわけで。その手の本も、今後は読むべきなんだろうなー。

そんな感じで仕事は忙しいながらも楽しんでいるんだけど、会社の指令で今時間を見つけては簿記の学校にも通っているため、けっこう時間がなく、平日の夜はちょこっと運動したり、小説を30分も読めばすぐに寝る時間になってしまう。週末を楽しみにしながら平日の短い夜を一つ一つ過ごしてると一週間が飛ぶように過ぎて、こうやって多くの人は社会人になった後、30歳とかいうどこからどう見ても大人な年齢へそれほどの自覚もなく邁進していくのだろうなってしみじみ想像します。routineってのはどんどん速く回転していくもの。だから時間を見つけて、また海外旅行に行きたいなーって思う。でも、それで数か月に一度違う風を自分の生活の中にいれれば、自分の人生はそれで、そのスケールとペースで良いのだろうかともつくづく考えてしまうんだけれども。そしてこういう思いも、気の知れた人達と飲んでお酒の肴にしてしまえば片がついていってしまいそうな気がして、1週間に3回くらい自分を戒める必要も感じている僕です。

ということで最後は僕のチルアウトのお供。彼らを聴いてるとほんとに頭がすっからかんになるから良い。心なしかなんだか梅雨が似合う気がします。

"いかれたbaby" Fishmans



2009年5月7日木曜日

変わりゆくleft and right

今年僕が最も注目している日本語ブログ、himaginaryの日記に僕が昨年中国で勉強したことドンピシャのエントリーが。

ワシントンコンセンサスから北京コンセンサスへ

北京コンセンサスって中国の大学院の最初の授業でやった概念なんです。教授は中国のいわゆるNew Left(新左派)の代表格で米国発の金融危機のニュースに心からウキウキしていた人なんだけど、かなり好きでした。おっと脱線。

そもそも開発の領域における世銀・IMF批判でよくつかわれるワシントン・コンセンサスという言葉は、wikipediaによると以下の政策をよしとするイデオロギーを表す。


(1)財政赤字の是正、(2)補助金カットなど財政支出の変更、(3)税制改革、(4)金利の自由化、(5)競争力ある為替レート、(6)貿易の自由化、(7)直接投資の受け入れ促進、(8)国営企業の民営化、(9)規制緩和、(10)所有権法の確立

つまり世間的な言葉でいえば、レーガニズム、サッチャリズム、コイズミズム(?)、あるいは新古典派とか新自由主義(ネオリベラル)と呼ばれる政策傾向一般ってことなのかな。80年代には、conditionalityを使って世銀・IMFがアフリカやラテンアメリカの途上国において小さな政府的政策を推進し、結果彼らを以前よりさらに窮乏させたり、格差を拡大させたとして、それらの地域出身の留学生が往々にして憎悪を抱いているイデオロギーです。

世界的な経済危機が進行し、アメリカの経済学者の間で銀行国有化が最善の策とされ、金融セクターに対する様々な規制が議論される中で、ワシントン・コンセンサスへの信頼が消え去りつつあるというのは確実だと思う。一方で台頭してきたのが北京コンセンサスなるものだというのが上記記事の話です。

ホルスラグが言うとおり、オバマの経済政策ってかなり北京コンセンサス的に見える。そもそも選挙前も、今でも聞かれるオバマの形容詞はpragmatist。これってつまり、目的のために最も現実的な手段を採用することができる人ということ。ここでオバマの掲げる目標が(少なくとも当面のところは)経済危機を脱し、アメリカの力強い経済成長を実現することであるのだとしたら、そしてそのために金融セクターへの規制を推進し、ときには保護主義的政策を容認するならば、それはまさに北京コンセンサスそのものだし、現実にオバマはそれに近い動きをしてきている。銀行国有化なんて実現しちゃったら、そのときアメリカの経済システムはSocialism with Chinese characteristics以外の何物でもないでしょう。

上記記事でとっても面白いのは以下の部分

経済危機、および中国をはじめとする発展途上国の台頭による米国の相対的な力の衰えにより、米国も自由貿易の錦の御旗だけではやっていけなくなり、より現実的・経済的な方法を取る必要に迫られた、というわけだ。

米国が経済におけるモラリズムを捨てることは、そのソフトパワーを部分的に失うことを意味する。その結果、これまでと比べ米欧間の紐帯が弱まる可能性がある。これからはそうしたモラリズムではなく、実際に経済をどれだけ上手く運営したかで世界への影響力が決定される時代が来る、というのがホルスラグの見立てである。

つまりつまり、できるだけ規制に束縛されない世界経済を理想とした新古典派こそモラリスティック(道徳的)で、経済成長のためには市場への積極的な介入を辞さない新左派がプラグマティック(実利的)ってことが全体を通して言われてるわけです。80年代に生まれ、小泉の登場まで10代を過ごした僕の中ではなんとなく右=冷徹な現実主義、左=情熱的な理想主義みたいなイメージだったんですが、そんな印象はすでに遠い過去のものっていうことなのかなぁ。たぶんこれこそ、北京コンセンサスの台頭によるパラダイム・シフトってことなんだろう。そして今、アメリカに価値の領域でも対峙していると想定されるのは他のどこでもなくやっぱり中国なのですね。

21世紀、変わりゆく世界...だから世界は面白いっす。

2009年5月4日月曜日

渋滞あれこれ

昨日ニュースを見ていたら、東京大学大学院の西成教授が渋滞について面白い話をしていた。

西成教授が話していたのは、まさに行楽シーズンの今、高速道路の渋滞についてだった。彼曰く、高速道路においては、渋滞の6割が坂道で、それも運転手がそれと気づかないような上り坂で起こっているのだということだった。何かの拍子に車が減速をする、これが渋滞のきっかけなのだと。

ある車のスピードが緩めば後ろの車は当然前の車に近づいていく、そして車間がある程度にまで狭まったとき、後ろの車はブレーキをかける。それも、車間が40m以下のときには、運転手は反射的に前の車より遅くなるくらいの速度までスピードを落としてしまうそうだ。それを連鎖的に繰り返すことにより、渋滞というのは発生するらしい。西成教授いわく、渋滞を防ぐ方法は、車間40mという追突防止のための距離を徹底的に守ること。これによって、集団的な減速の連鎖を防ぐことができるのだという。


この話を聞いて面白いなーと思って少しググってみたら、インタビュー記事があった。より詳しい内容が載っています。

目からウロコの”究極”の渋滞回避術


記事によると、高速道路渋滞回避のための最も有効な方法は、「スローイン、ファーストアウト」っていうことみたい。つまり、渋滞情報を事前にキャッチして、突入する5kmくらい前に時速70km程度で十分な車間をとりながらゆっくりめに走り、渋滞を抜け出るあたりから速めに走る集団を作るのが理想だとか。これが「渋滞吸収隊」の役目を果たす。逆に渋滞前に早く早く行こうとすると、渋滞のポイントにどんどん車がたまって渋滞はさらにひどいものになってしまう。結局、各々が情報をしっかりと得て、はやる気持ちを抑えて、全体のことを考えながら運転することで、渋滞というのはけっこう緩和されるものだってこと。

渋滞の解消ってけっこう大事な問題で、そうすることによって例えば車の燃費が良くなる(CO2やその他有害ガスの排出が減る)、余暇の時間がより多く確保できる(社会に心理的ゆとりが生まれて休暇中の消費を促進する)、物流の効率が上がるなど、僕みたいなど素人が考えただけでも、かなりの大きな波及効果がある。車の流れ、人の流れがスムーズになれば、都市と地方のアンバランスな関係にもなんらかの効果を及ぼすでしょう。例えば、最も希望的なシナリオは地方から都市に通いやすくなって、格差が解消する、とかになるのかな。

ETCを活用した高速道路1000円化によってこういう話がより注目を集めているわけだけど、僕はそれ自体にもけっこう好意的な見方をしている。だって、アメリカだってヨーロッパだって高速でほとんどお金をとっていないんだから、日本国内で彼らなみの充実したバケーションを過ごすには、とにもかくにもまず移動のコストを下げることが大事だって思うし。それに、地方に対する恩恵も大きいのではないかと思う。もちろん、コストっていうのはお金のほかに時間や、環境に対するものも考えなくちゃいけないんだけど、特に時間と環境のコストを下げるために、今渋滞解消のための知識はとても重要になっているのだ。

それにしても、渋滞って、というか交通一般っていかにも人間的、社会的なものだなーって思いませんか?僕は信号機を見るたびに、日本中の、あるいは世界中の人が、ほんの百年くらい前には存在しなかったあの赤とか緑のライトを見つめては、止まったり進んだりを繰り返していることがとっても律儀で愛らしいことのように思える。渋滞も信号機に従うような、他者を、社会を思うほんの少しの心があれば、人間的な方法で解消できるものなんだろう。

PS. 今日はCMフェスティバルにノミネートされたらしい、渋滞と情報にまつわるオランダのKPN MobileのCMを。僕は小さいころ、渋滞に巻き込まれるたびに父にこういっていた。
「こういうとき悪いのは、先頭の人なんだ!」ってw。

2009年4月26日日曜日

Dark Knight

The Dark Knight

今日はひさしぶりのビデオ観賞。見たのは、とある友人が救いのなさとジョーカーの演技についてヤバいと連呼していたこの映画。公開をまたずして急逝したもののアカデミー賞助演男優賞を受賞したらしいジョーカー役、ヒース・レジャーの怪演ぶりは確かにやばかった。ストーリーや設定もあらゆる年齢層が楽しめるようなぬかりのないものです。これはほんとにおもしろかったなぁ。

良かったのはバットマンのヒーローとしての限界がきっちり描かれていること、そして彼がジョーカーに追い詰められていく中で、高潔ながらも厳しい茨の道を選んでいく様子がけっこう淡々と描かれてること。迫真の演技も相まってジョーカーはほとんど無敵に見えるので、バットマンはけっこう弱くてヘマばかりやってるイメージなんだけど、そこが良い。

この作品を見て、僕はなぜか最近の自分の気の抜け具合をしみじみと反省させられ、明日から毎日きちんと生きようと思わされました。バットマンのように大層なものでもないけど、僕には僕の公正さとか正義みたいなものがあって、それは懸命に守られるべきものなのかもしれないとか思いました。この感想自体はとてもアホな気もするんだけど、もらったインスピレーションは大事なので、その僕なりの公正さのために明日から精進したいと思います。ということで、また一週間がんばろう!

2009年4月25日土曜日

復活宣言

月曜日に、ようやくインターネット接続の工事が終わりました!永らく、というかほんの3週間ほどだったのですが、ネットとの距離があまりに遠かった生活にようやく終止符を打てました。その後火曜日から研修の一環で九州の田舎に携帯電話まで没収されて文字通り監禁されていたので、ネットの恩恵にはあずかれなかったんだけど、ようやくブログ再開できそうなメドが立ちました。土曜の朝に好きになってきた自分の新居でネットができるなんて最高っすw。

というわけで、この1か月で学んだことについて。
一つは僕が働きはじめた組織のこと、そして業界のこと。どんな法律が根拠となって、他の法律との兼ね合いの中で、現時点でのどんな法改正の流れを受けて、僕が所属する組織が存在し、変化しようとしているか。業務遂行の際に、何に根拠を求めなければならないのか。そして僕が今後主に関わっていく安全保障の仕事がどれだけ”政治的”か。仕事のことについて細かくは御開帳しないようにしようと決めている今現在では、このような抽象的な言い方をすることしかできませんが、おそらく僕はこの数週間、法律や行政の煩雑さとリアルなパワーをかつてなく実感し、「あー、これが”現場”ってことなんだなー」ってつくづく思いました。今後もそれを感じる場面は多々あるだろうけど、アカデミックな理想主義は保ち続けたい、そして権威を背景にしたあらゆる理不尽な決定にはドロップキックし続けたいっていう気持ちをあらたにしました。もちろん、僕が入った組織や業界のシステムが予想以上に優れている側面も発見したんだけどね。こうやって良い面、悪い面も含めて少しずつ周囲のことが見えてくるっていうのは悪くないっす。

二つ目の発見は、一つ目とも思いっきり絡んでいるんだけど、事務能力の重要性かな。どんな仕事だって、time-consumingな事務作業はあると思うからこれについてはある程度普遍性を持っていると思う。非クリエイティブな作業をできるだけ短い時間で終わらせることができると、それだけ頭をフルに回転させるような仕事をする時間がとれる。創造的な仕事をするには、やっぱりどれだけ時間がとれるかってのは大事だと思うし。処理能力みたいなものをどんどん上げていかなきゃなーって思います。

三つ目。帰る場所のかけがえのなさ。人間ってほんとに”気の置けない”友人関係でもストレスを感じてしまうものらしいけど、それが職場となると当然のことながら圧倒的ですな。僕はもともとどんな人間関係においてもそれなりにのびやかにやれる方だと思っているんだけど、それでも無意識に抑えている部分を発散できる聖域みたいなものは今後より一層大事だなーってつくづく思います。それが以前からの友人たちであり、家族であり、同期であるわけで、それについてはほんとに幸せなことだなーってひしひし思うわけですが。

そんなこんなで、来週からは配属先でいよいよon the jobのトレーニング開始、そして業務開始です。良いニュースとしては、ほんとに今が素晴らしい季節であること。今日、東京はあいにくの雨ですが、昨日までいた九州のとある町では、晴天のもと麦畑がさわやかな風にそよいでいました。この季節、時間があるときにはできるだけ外にいたいなって思います。近所の公園で本読んだりしつつね。

The Coral "Jacqueline"





2009年4月10日金曜日

Five years

ここ2週間は出会いの連続だった。未だになんとなく殺伐としている新居でほとんど明日のことしか考えていないふわふわとした僕を、さらに浮き足立たせたのは間違いない。世の中って本当にいろんな価値観を持った人がいるんだなぁってよくよく感じた。これってきっと、日本人という前提で見知らぬ人たちと顔と顔を突き合わせて話してこそ、ある種の真剣さを持って実感できることなんだろうな。少なくとも僕にとっては。

学生から社会人になることの決定的な違いについてよく言われてること。学生は、なんだかんだ言って年が近くて、その中でも気が合う奴と基本的には何でも一緒にやればよかったけど、社会人は年齢やら性格やら目指してる像やら好きな本やら音楽やらなんらクロスするもののなさそうな人とでも共に総合的に価値を生み出していかなきゃいけないってこと。それ自体は辛いことでも悲しいことでもないとはいえ、少なくとも社会人の方が動物的に生理的にストレスがたまるのは間違いないんだろうなって思います。最近の夜10時の眠さを考えるとねw。

それでも、少しずつ自分の生活を組み立てる努力はしていて、最近は夜こつこつと運動をしたり、少しずつ勉強の続きを再開したり、本を読み進めたりしてみた。そうやってると、正直気分はとっても良い。でも5年後、やってることは違っても同じ場所である種のroutineをこなしているかもしれないと想像すると時々ふと恐ろしくなる。自分はここで人生の半分近くを回転させるために生まれてきたのかって。実際僕が住み始めたのはほんとに素敵な街だし、職場があるところも文句なしにきれいなんだけど。なんだかフィットしないんだよなぁ。たぶん、この完結のされ始めてる感じが。

初心忘れるべからずというけれど、こういう浮ついた気持ちを書きとめておくのは今後ずっと流れ続けていくための勇気を持つためにはきっと悪くない。一方で、いろんなことを考慮して5年間今の場所で頑張ることを今日決めた。このブログも5年は続けてみようっと。

PS. 暖かくなってきた今週。夜の風のぬるくて冷たい感じがたまらん!
去年に引き続き、なぜかやっぱり春はR&Bな僕です。

Groove Theory "Tell Me"
http://www.youtube.com/watch?v=eF27hasM0TI&feature=related

2009年4月4日土曜日

新たな秩序を

引越しをして1週間が経ち、社会人デビューの一週目も終えました。気分としては、正直まったく地に足がついていない感じ。新しい自宅にいるのも変な感じがするし、スーツ着て電車乗ってるのもいまだに特別なことのように思えるし、インターネットにアクセスすることなく一日を普通に終えてしまうのも物足りないし。まだペースがつかめていない。

朝が早くなったせいか夜は11時くらいに眠くなってしまうし。たぶん意外に疲れがたまっているのと、家にいても落ち着かないのがあって、ボーっとテレビ見ちゃってたり、その辺にちらかっている漫画を少し読むだけで短い夜の時間が終わっちゃう。こんな感じですごしてたら、一年くらい過ぎるのは本当にあっという間だ。

自分がこれまでこつこつしていた勉強の続きや、運動やらをしないでいるとなんだかフラストレーション貯まってきます。こんな状態では僕がなんとなく描いている理想の大人像には近づけないこと間違いなし。来週からは、夜の時間を有効に使おう。それで次のエントリーはもっとまともなことを書こう。

本日も近隣の漫画喫茶からでした。家のネット接続まで、あと2週間・・・

2009年3月31日火曜日

生活 without ネット

インターネットなし生活4日目。正直本気できついですw。先週土曜日に引越しをして、日曜日にインターネットの申し込みをしに家電量販店に行ったのですが、今の時期は申し込みが殺到しているため、初期工事は4月後半になると言われました。鬼です。

しかも僕が住み始めた地域はあまりに閑静な住宅地なので駅前にネットカフェなんてなく、15分歩いて隣の駅前までやってきてネットを使用している現在。僕はこのブログを書くネタ自体もネット上のニュースソースに依存しているし、しばらくはなかなか更新することができなそうな感じです。

しかし、インターネットの申し込みもインターネットがないと不便だし、通信販売もできないし、当然のごとくメールもチェックできないし、ネットなし生活って本当に外界から隔絶されているような寂しさを覚えてしまってほんとにストレスフルなんですが・・・。完全に現代病のひとつですな。これは。

いずれにせよ、僕は明日ようやく社会人デビューをします。新しい季節、がんばろう!

2009年3月24日火曜日

優勝おめでとう!!!

WBC日本連覇!!

本当にすばらしい試合でした。両チームとも気迫のこもったプレーの連続でした。延長10回、イチローの2点タイムリーのときには絶叫しながら泣いてましたw。どうやらMVPは二大会連続で松坂だったらしいけど、今日も含めて岩隈投手の終始安定したピッチングを考えれば最大の貢献者は彼なんじゃないかな。笑顔がいいし!

準優勝の韓国の粘りも素晴らしかった。わずか5安打しか打ってないにも関わらずスコアタイで延長までもつれさせたその気迫はすごい。日本と韓国は隣国でもあり、今経済危機で最も苦しんでいる二国だし、手を携えて、お互い尊敬を持って頑張っていきたいですね。また経済の話になっていますがw。

そういえば三年前、日本が最初の大会で優勝したときには、僕はまだ大学生で、一人暮らしの家でずっとテレビ中継を見ていたことを思い出しました。大学院留学の準備を始めて英語等にとても苦戦していたころで、当時もものすごく感動して、日本人として本当に大きな励ましをもらったことを記憶しています。こういう大きな感動は選手たちからの、一人ひとりの普通に生活している人たちに対するプレゼントだと思うし、僕も少なくとも自分が身をおく領域で世界水準の仕事ができる人を目指して、これからの日々を積み重ねていきたいと思いました。

ありがとう、日本代表!!!


感動した!!

2009年3月22日日曜日

ドリアン・グレイの肖像

ドリアン・グレイの肖像 オスカー・ワイルド 新潮文庫

毎晩寝る前に読んでいたこちらの小説も昨日電車の中で読了。僕が持っている、新潮文庫の旧版の帯にはでかでかとこうあります。

「耽美で退廃的な世界を美しく描く一大交響曲

あの絵が俺に自分の美しさを愛せよと教えてくれた―――。」

僕は基本的に本にカバーをかけたりはしないのですが(自分が読んでるものを隠す、あるいは本の表紙を汚れないようにする必要なんてどこにある!紙の無駄だ!)、電車の中でこの帯の文を周囲に見せながら読むことは少しだけ気がひけました。実際そうしましたがw。

物語の大筋は、純真な心を持つ美少年がある時快楽主義者に感化され、すべての罪と時間の流れを一枚の自画像に負わせて、その若さと見た目の純真さ、美しさを保ちながら悪徳に溺れていく様を描いたもの。最終的に主人公はその自画像にナイフを突き刺すことになるわけなんだけど、解説にもあるように、本当にたったそれだけの単純なストーリー、シンプルな寓話。でも、これも解説にあるように、ちりばめられた人生の警句が本当に面白い。いくつか取り出してみよう。

「思想の価値は、それを表現する人物の誠実さとはなんのつながりもない、むしろ、その人物が誠実さを欠けば欠くほど、思想の知性度は純粋となる。というのも、その場合、思想が、個人の願望、欲求、偏見といったもので彩られる心配がないからだ。」

「ものごとを外観によって判断できぬような人間こそ浅薄なのだ。この世の真の神秘は可視的なもののうちに存しているのだ。」

「青春をとり戻したいのなら、過去の愚行を繰りかえすにかぎる・・・とりかえしがつかなくなった時はじめて、後悔の種にならないものはただひとつ、自分のあやまちだけであることに思い至るのです。」

わはは。すごいw。

それにしても、以前ドストエフスキーの「悪霊」を読んだときにも切々と感じたことだけど、人間が他者に対して美しい、醜いって思う感覚は本当に理不尽だなーと思いました。その人の美醜はその人の善悪とはまったく関係のないことで、あるいはそれ以上に重要なものかもしれなくて、もしかしたら一番魅力的な人物は美しい極悪人っていうことになっちゃうかもしれないから。それに、「若さ」や「青春の賞味期限」みたいなものについてもよくよく考えさせられました。この辺はあまりにパーソナルなのでここに語るのはやめておきますw。

というわけで最後に、ワイルドに影響を受けたという伝説の人の映像を。久々にこの曲を聞いたら、あまりの美しさにしびれました。

The Smiths "William, it was really nothing"

ホーリーランド

ホーリーランド 森恒二

最近僕はひまを見つけては足繁くブックオフに通っていたのですが、主にこれを読んでいました。今日全18巻読了!

それにしても、本当にすばらしいマンガ。一言でいえば、心のやわらかいところにまっすぐ飛び込んでくる渾身のストレートっていう感じでした。ところどころ作者自身が読者に語りかけてくるところとか、最終巻の帯にしたためられたメッセージとかから、作者は明らかにこのマンガを書きたいがために漫画家になったのだってことが分かる。内容はスタイリッシュでも、斬新でもないかもしれないけど、「打ちひしがれて、迷って、苦しんでいるのはあなただけじゃない」、「あなたは変わることができる」そういったメッセージが愚直なまでに必死に込められた作品だと思いました。心がぎゅっと締め付けられます。これだけ個を投入する作品を書いてしまった作者の森恒二さんは、次回作が書けるのだろうか、それはどんなものになるのだろうかと非常に興味しんしんです。

来月から給料をもらえるようになったら全巻大人買いしたいです!
これが家にあれば絶対筋トレを続けられる気がしますw。

2009年3月21日土曜日

雑草魂の美学

昨日お風呂上りにテレビをつけたら、NHKのプロフェッショナル・仕事の流儀(再放送)をやっていたので久しぶりに見た。


驚いたのは、彼がサッカーを始めたのは11歳だったということ。僕より遅いw。自分は「うまいか下手かで分類したら常に下手に分類されてきたような選手」と言っていたのがものすごくリアルだった。プロのサッカー選手になるような人は、平均して5歳くらいから徹底的にサッカーをして、ボールを扱う感覚を早期に養うらしい昨今のこと。中学3年のときにJリーグが開幕して、カズのかっこよさに魅せられてプロになろうと決心したときも、何の実績もなかった。高校も県予選すら突破できずに終わった。その後ブラジルにサッカー留学をしても、一年でもうチームに来なくて良いと言われた。ブラジルから帰って来てJリーグの各チームに履歴書を出しても、全く相手にしてもらえなかった。プロへのきっかけをつかんだのは、その後年齢を偽って母校の高校とヴェルディのユースの試合に参加してヘディングを決めたことだったらしいけど・・・その後も毎日人より数時間余計に練習してきたらしいです。壮絶。

スポーツやピアノとか絵とかの特定の芸術領域で飯を食っていくって、個人の意志とは関係ないもの、つまり親が中心となって小さい頃から与えられる環境要因がないと無理なものって思ってしまうけど。それを意志でもぎ取ってきた人なんだなぁ。中澤には187cmっていう恵まれた体格があるじゃないかって思う人もいるかもしれないけど、中学時代にJリーグを見てから毎日2リットルの牛乳を飲んで背を伸ばしたらしいですw。実際小学校時代の写真とかそれほど大きいようには見えなかったし。

印象に残ったのは、同じような境遇であきらめてしまう人は何が足りないんだと思いますか?っていう質問に対して、「サッカー以外の何かを捨てられないんじゃないですかね。僕は恋愛をしたり、カラオケに行ったりっていう周囲の友人がやっていたことを全部棄てました。そういうことを棄てることができない人は他の道を選ぶんだと思います。」みたいに言っていたあたり。壮絶。

「過去は変えられないけど、未来は変えられる」とか「練習が足りない」っていう彼の言葉はほんとに重いです。

僕はこの前イチローの三塁打を見て、一人で涙を浮かべていましたが、今後もスポーツは涙抜きには観戦できそうにありませんw。なんて素直な自分。

日本やばいですよね?

今朝何気なくBS1でイギリスBBCのニュースを見ていたら、日本経済のニュースが出てきた。世界的景気後退の最も深刻な影響を受けている国の一つは世界第2位の経済大国・日本ですって。タイミング的に、どうやらIMFの以下の経済予測の発表の後に、日本の取材を行った上で流されたニュースなのだろう。

NIKKEI NET: 日本の09年成長率、マイナス5.8% IMFが下方修正

ちなみに、アメリカはマイナス2.6%、ユーロ経済圏はマイナス3.2%が予想されていて、いずれもマイナス成長には変わりないんだけど、日本よりはるかに傷口は浅い。それなら、日本経済って世界の中で相対的にどれだけひどいのだろう?

少し前のものになってしまうけど、G20の会合のために要約されたコチラのデータが参考になる。
Financial Times: G20 Wishlist

さらーっと流して見てみると、ここにいる世界の先進20カ国のうち、どうやら日本は2009年の輸出量の落ち込み、GDP成長率の落ち込みの予測について20か国中ワースト1。政府収支の悪化についても、前例のない財政出動を行おうとして世界中の注目を集めている米国に続いて、どういうわけかワースト2。ということで、やれ韓国がひどいことになっている、ドイツがひどいことになっていると言っても、この三つのマクロデータを見る限り日本の方が明らかにひどい。さらにここへきて、IMFが日本についてもっと深刻な予測を発表したということ。BBCは、東京の朝のラッシュ風景を映して、「彼らが仕事を失う日も近いかもしれません」と言っていた。不況不況とは言っているけど、世界からこんな風に見られているんだってことを、どのくらいの日本人が認識しているのだろう。戦後最長といわれた近年のささやかな経済成長も、今年の経済収縮だけでほぼ帳消しになる可能性すらある。

このタイミングで日本に必要なのは、普通に考えたら政府による強力なリーダーシップなわけだけど、自民党と民主党がやれ風邪薬だの、やれ政治献金だのっていう低レベルな減点争いをしているっていう事実に人々はもっと憤ってしかるべきじゃないだろうか。いや、憤りを通り越して、もしかしたら呆れて自虐的に笑うしかないと思ってるのかもしれない。それだけ状況はひどいのだ。

そんなこんなで、僕は日本にとって文字通り唯一の明るい話題であるWBCに最近どっぷりはまって毎日見ています。サムライジャパンっていう呼び名は聞くたびに滑稽だと思うけど、それももういい。たぶん、優勝するかしないかで今年の経済成長率はコンマ1か2くらいは違ってくるんじゃないかなw。

とにかくがんばれ、日本!!

2009年3月19日木曜日

今日の気になる記事

資本主義とは何か、経済学がそれに対してどういう役割を果たせるのか、経済危機を迎えている今日的な視点から考えさせてくれるとても良い記事が、いくつか日本語訳されています。

himaginaryの日記
悪いのは経済学者であって経済学ではない
Talks about: Economist's View "Blame Economists, not economics"

上記ブログでは毎回ほんとにすばらしい記事を書かれています。あまり知らないのに言うのもなんですが僕個人としては、日本語の経済学ブログで今ベストなものだと思っています。

P.E.S.

僕は経済関連以外のエントリーについてもP.E.S.大好きです。SF読みたい。

僕は基本的に、
1.数字があまり出てこなくて
2.心理学的、歴史学的、哲学的視点
で語られる経済の話が好きなようです。思いっきりものぐさ文系な資質が表れているようなw。

Keep Inspired

今日はひさしぶりに高校のときの先輩と飲んだ。おそらく数年ぶりの再会。そして多くのインスピレーションをもらった気がする。左のグラフィティもその一つ。

このオバマのデザインを行ったShepard Faireyは、カリフォルニアのスケーターシーンから現れたアーティストで、その先輩のかねてからのヒーローだった。僕の高校や大学の文化祭で採用されたその先輩のポスターは、彼のスタイルに影響を受けたものだとか。高校時代から単身で何度も渡米していた先輩は、Faireyのアトリエを訪れて友人になったらしい。昨年末まで続いた大統領選、Faireyがオバマの選挙事務所の許可を取らずに作ったオバマ・グラフィティのTシャツがBeyonceなどのセレブリティに気に入られたのを皮切りに爆発的なヒットとなり、オバマ事務所もgrass-rootsというキャンペーンの精神に合致することからTシャツの販売を当初は黙認、後には公認し、Faireyのグラフィティは最終的には文字通りキャンペーンの一部となりオバマ勝利の一翼を担うことになった。今もデザインの仕事を続けている僕の先輩は、そんなオバマとFaireyの勝利を見るために、1月の就任演説を見に行ったのだとか。
そして現在、歴代大統領の肖像がおさめられているミュージアムに飾られているオバマの肖像は、Faireyによるグラフィティなのだそう。アートとPolitics/Societyがこうやってクロスするって本気でクールだなぁ。結局は、日本だったら絶対そんなことあり得ないよねっていう話になってしまうんだけど。

先輩がDCで滞在していたところが、僕が数か月住んでいたAdams Morganだったという偶然もあってアメリカトークは異常に盛り上がりましたw。それにしても、全く違う分野からお互いの興味が収束していく瞬間って本当に気持ち良い。やっぱり持つべきものは友達です。

そしてとってもうらやましかったのが、先輩が帰りにLA滞在中にとあるブティックで下の画像の人に会って話をしたということ。なんたる幸運。求めよ、さらば与えられんってことかもね。僕はこんな風に世界が素敵な偶然と可能性に満ちていると思えるときが一番幸せだと思う。うん、少なくとも今は。

Thom Yorke "True Love Waits"






2009年3月13日金曜日

あるシングルマザーについて

3日間の研修が終わり、同期と初めて会い、新居も見に行って、少しずつ4月以降の自分の生活のビジョンができつつある。実のところ、すべてが自分がなんとなく想像していた以上に素晴らしかったので、心から社会人生活にわくわくしています。もうすぐ春ですね。

ニューヨーク街物語「増える新世代シングルマザー」

話は変わって、またまたBS1のこの番組について書きたい気分になりました。ほとんど回し者ですw。実のところ、僕はほとんどBS1しか見ないと言っても過言ではないくらいBS1のファンなのです。だって昼の何時にテレビをつけても大抵世界のどこかの放送局のニュースをやってるし、そのほかの番組も語学や世界のドキュメンタリーが多くて、単純に今何が起こってるのかをウォッチしようとしたり、教養を身につけようと思ったら、これ以上のチャンネルはない気がするから。だから、正直一人暮らしを始める3月末から当面は新聞を購読しないって決めたものの、BSを見られる環境にするかどうかについてはまだ迷っているところです。

今日の番組のテーマはシングルマザー。フォーカスがあてられるのは、いくつかの恋愛を経ても、結婚をするのに理想と思える男性に巡り合えなかったというある女性。彼女は転職を繰り返すたびに昇給し、現在は年収1000万円を超える収入を持つといういかにもニューヨーカーらしいキャリアウーマン。

面白かったのは、彼女がどうやって父親の精子を選んだのかっていう部分。「身体的特徴が、自分の家系に似ていることだけを考えた。」と彼女は言う。もし自分と明らかに見た目が違っていたら、子供がこの先誰かと会うたびに、親についての無用な質問をされるかもしれないと考えたとのこと。そんな彼女は、子供が生まれたときの気持ちをインタビュワーに尋ねられたとき、感極まって泣いてしまっていた。「娘こそが自分の人生の喜びのすべて」だと彼女は言った。今、彼女はまだ5歳くらいの娘に生い立ちをきちんと説明しようと考え、シングルマザーについての絵本を繰り返して読み聞かせているらしい。その絵本には以下のような感じのくだりがあった。

お父さんについて知っているのは、髪の色、目の色、身長、体重だけ。でも、心が優しい人だっていうことも分かる。なぜなら、お父さんが助けてくれなければ、あなたを産むことはできなかったから。

こんな風に子供に真実を伝えるためのきちんとした絵本が充実してるっていうことは、子供に対してもその場しのぎの嘘をつくことなく、誠実であろうっていう姿勢の表れな気がして、個人的にとても感銘を受けました。

そしてもう一つおもしろかったのは家族について。「子供にとって一番必要なのは、家庭が安定していること。どんな境遇であれ、家庭が安定していれば子供は健やかに育っていく」という考えから、彼女は実家で両親とともに娘を育てることにしたらしい。彼女の両親は、どうやら彼女に普通に結婚してもらいたかったみたいだけど、精子バンクを使うことを決めた彼女の固い意志も深く理解しているようだった。今では、積極的におじいちゃんが「父親」の役割を果たしているとのこと。

そして、「家族」のきずなは、身内の外にも広がっている。同じ男性の精子を使って子供を設けた女性にコンタクトをとり、子供同士を兄弟として交流させているとのこと。全く知らなかった一家が今では自分の家族のようになっている。これをextended familyと彼女は表現していた。女性の地位向上によって、一人で子供を育てられる環境ができる。そして、シングルマザーたちが子供のために新しい家族の絆を開拓していくにつれて、社会の中で新しい人と人のつながりができていく。この辺、日本の少子化問題とか、人々のつながりのあり方に対して本当に示唆的な気がします。

それにしても、このシリーズは本当に良いドキュメンタリーです。人間にとって、社会にとって本当に大事なものって何なのか、それを考えるヒントをくれる気がする。普通に学校に行くことだって、両親がきちんと揃っていることだって、結婚することだって、別に本質的なことじゃないのかもしれないですね。普遍的なのは、親が子を心から想うこと、そして人は、それがどんな形であれ、人とのつながりのなかで成長し、幸せを模索しようとするってことだけなのかもしれない。

2009年3月9日月曜日

息抜きWEEKEND

この週末は、いい感じにリラックスしてまったりと過ごしてみました。明日から新人の研修もあったりするので、スーツを買いに行ったり、映画を見たり、お気に入りのカレー屋でカレー食べたり、マンガ買ったり、借りたり、恋愛小説読んだりしてました。そんな土日の収穫。

Changeling

僕の好きなフィッツジェラルド原作であるベンジャミン・バトンを見るつもりで映画館に行ったのに、僕が時間を勘違いしていたため代わりに見たピンチヒッターの映画だったのですが。予想以上に暗く、悲しい映画でした。アンジェリーナの子供だと主張する子がこわい。でも、その子よりもっともっとこわい悪人たちがわんさか。これが実話ってすごいけど、もしかしてアフリカって今でもこういうノリのところあるのかもって思ってみていました。序盤が少し冗長な気がしたし、決して晴れやかな気分にもならないけど、観客を静かに残酷に引き込んでいく映画だと思います。母の愛ってほんとに宇宙的です。

ムーたち

友達に薦められて借りたギャグマンガ。規理野視組っていうキャラが僕のお気に入り。みんなが(少なくとも僕は)普段いらん力を使って考えているようなことを昇華させ、ねちっこいフォーマットに落とし込んでいるような雰囲気。読む人を選ぶかもしれないけど、間違いなくギャグ漫画の新機軸を開いている気がする。

カラスヤサトシ

これも友達に借りた。マジでおもしろい。電車で読んでたら我慢しきれなくて笑いすぎて社会的に死にかけた。こいつバカだと思いつつも、僕には作者と友達になれそうな何かがある気がする。

シュナの旅

ナウシカ以前の駿マンガ。前から欲しかったのをジュンク堂で衝動買い。チベットの伝承に基づいて発展させたらしい、短い絵物語みたいな作品だけど、その後の作品の中で形をなした数々のモチーフが垣間見える。もののけ姫なんて完全にこの作品の延長上にあります。語りによる進行が淡々として静かである一方で、僕が知っている駿作品の中でも最もダークなストーリーだと思う。素晴らしい。

というわけで、まったり過ごすとサブカル色がどうしても濃くなってしまうらしい僕です。明日から研修がんばるぞー!

PS. 最近彼女のニュー・アルバムが本当に欲しいです。

Lily Allen "Fuck you"





2009年3月7日土曜日

未成年


ドストエフスキー 未成年 新潮文庫

たぶん2年ぶりくらいになるのかな。久しぶりにドストエフスキーを読んだ。カラマーゾフの兄弟、悪霊、罪と罰、そして僕がまだ読んでいない白痴と共に五大作品と呼ばれているらしいこの作品。全体を通じた狂騒的なドライブ感としては罪と罰にも勝るとも劣らない、大傑作でした。毎晩寝る前に2,3時間読んでいたんだけど、最近眠りが浅くて変な夢ばかり見るのはたぶんこいつのせいだったのではないかと思われます。それだけ、がくがくぶるぶる感にあふれていますw。ちなみに僕はこの”がくぶる感”はドストエフスキーによって最高度に高められた表現様式なんじゃないかと勝手に思っています。

これまでドストエフスキー作品を読んで感じたことと重複しているところもあるんだけど、僕はこの作品で彼が主人公を通じて描く家族への心からの愛情に激しく共感できるし、僕は彼が描いた美しい女性像、そして彼女らの存在によって、ある意味勝手にがくぶるして破滅に追い込まれていく男性像が心から大好きです。それに、主人公のキレ具合と愛らしさに関してこの作品を超えるものはそうは存在しないだろうと思います。

なぜってそう思うのかって・・・

なに、仔細はない!!!

2009年3月6日金曜日

教育の選択

今朝起きて何気なくテレビをつけたら、BS1でNYのとある家庭についての話をやっていた。
ニューヨーク街物語「わが家の選択 ホームスクール」

お父さんはコンピューター関連のコンサルタント、お母さんは臨床心理士を行って生計を立てていたこの家庭。転機は、長男が生まれてから訪れた。長男の子は未熟児で、生まれたときにすでに自閉症を診断された。5歳から学校に通い始めると、どこに行ってもいじめられて、転校を繰り返すことになった。最後に行った学校では、先生にまでこの子を受け持ちたくないという態度をとられ、みんなの前でこきおろされ、3週間通っただけで彼はボロボロになってしまったという。そこで、「この子を学校にやらせたくない。」と両親は決断した。

選択したのは、ホームスクーリング(より詳しい記述は英文のhomeschoolingにあり)。お母さんは臨床心理士の仕事を一時中断し、長男の教育者としての役割を担うことを選んだ。結果、伸び悩んでいた学力は向上し始めて、同学年の平均的な水準まで達した。午前中、授業の時間を終えてからは公園に行くようにすると、長男に友達もでき始めた。番組では、多くの同年代の子供と心から楽しそうに野球をする長男の姿が映った。この長男の教育で、僕が非常に興味をもったのは音楽教育。自身が「僕は話出すより先に、歌うことを覚えたんだ」というように、彼が一番好きなものは音楽だった。彼は今、他のホームスクールの子供たちと共に、かのジュリアードの講師からギターを教わっている。さらに、お母さんの計らいで、他のホームスクールの生徒たちと共同でスペイン語の教師を招き、語学の学習にも取り組み始めた※1。ホームスクーリングを支援するNPOが催しているサッカー教室にも通う。そういう意味で、学校からドロップアウトせざるを得なかった長男の教育は、多様化を図った結果、個性を伸ばす英才教育的な色彩を帯びてきているのがとても印象的だった。サッカー教室で出会った他のホームスクーリングの子供たちの声も印象的だった。「学校ではペースを合わせて他の人たちと同じことを勉強しなきゃいけないから、つまらない。とてもいい学校に入れる機会があったんだけど、そうはしなかった。だって僕はホームスクールの方が好きだから。」一方、長男の子はこう言っていた。「たまに学校に行きたいと思うときもあるよ。それはなぜかは分からない。でも、学校にはいやなやつがいっぱいいるからね!」

お母さんは、下の二人の子供も、学校には通わせないことを決めた。彼らにとっては、学校の勉強は逆に簡単すぎたのだ。分かり切ったことを説明されて、いつもぼーっとしていたという彼らは、今在宅での勉強で、同世代の子より2学年先の内容を学んでいるという。「僕の数学は5年生くらいのレベルだったのに、学校では1+1をやったんだ!」とおどけて言っていた下の子は、ホームスクールに本当に満足しているみたいだった。彼らの自信と充実感に満ちた表情はとても印象的だった。お母さんは、さらに下にいる二人の幼児も、学校に入れるつもりはないと言い切った。

1980年代から合法化の波が広がり、今ではアメリカの全州で認められているらしいホームスクーリング。2005年-2006年のある統計では、全米で190万人から240万人の子供たちが在宅で教育を受けている。一般的には、在宅で高校までの内容をカバーし、大検のようなものを受験して、大学入学をする形が多いらしい。この家庭の方針もそうだった。上記のWikipediaの英文の記事によると、在宅で教育を受けた子どもは、標準化されたテストの全ての科目において、学校教育をうけた生徒たちより30~37%も成績が良いらしい。ホームスクーリングを支援するNPOや、それによってホームスクーリングを選んだ子供たちの親のネットワークもあって、子供たちは同世代の子たちと触れ合う機会もしっかりと持つことができるから、socializationの能力の発達に関しても、どうやら決定的な問題は指摘されてないみたい。逆に子供の心理的な成長に対するホームスクーリングの効用(そして現行の学校教育が子供の精神的発達を不当に阻害していること)を主張する本や論文も以前からかなり発表されてるみたい。

一方で、ある視点から見れば、ホームスクーリングは”教育格差”を生み出す、最大の要因ともみなされるかもしれない。ある調査によると、アメリカで子供の在宅教育を行う家庭の親の収入は、平均の1.4倍で、親の学歴も高い。実際、番組で取り上げられた家庭もお母さんが心理学のPhD(博士)だったし、家庭での教育は学校でのマス教育よりも明らかにコストが高いから、そういう傾向があるというのはうなずける。でも、印象に残ったのは、「子供の成長は一人一人異なる」と言う番組での言葉。学校には「いやなやつがいっぱいいる!」という長男の言葉。長期的視野で、現実的な判断を行って、子供により適したオルタナティブな教育の機会を与えること、それは学びの選択肢の多様化であって、解放だと思う。そもそも「教育格差」っていう発想は、すべての子供が同じ成長の軌道をたどること、特定の同じ能力を成人までに得る必要があること、さらには他の人と似たような人生を歩んでいくことが幸せにつながるというアイデアを、同じ年齢なら全員横に並んで与えられた枠組みの中で”競争”してしかるべきっていう世界観を前提としている。これも、どうなの?!!

ちょっとググってみたところ、日本においてもホームスクーリングを支援するNPOが活動しているみたい。
HoSAウェブサイト
紹介文からは、どうやら子供たちにより良い教育の機会を与えるというよりは、いじめやその他の理由から学校をドロップアウトしてしまう子供たちの教育を支援しようっていう流れで、ホームスクーリングの価値が提唱されているような印象を受けます。やっぱりそこが一番切実な動機になるんだろうなぁ。アメリカよりもよっぽど学校教育に価値を置いていると思われる、そして人と違うことをものすごく恐れると思われる日本人にとっては、たとえそれが法律的には全然問題ないことであっても※2、ホームスクーリングっていう選択をすることはまだまだ非常に難しいことなのかもしれない。僕だって「普通」の青春時代を子供に与えられたら、もしかしたら彼彼女にとっては一番幸せなことなのかもしれないって思ってしまうし。だって、これだけ学園ドラマや学園マンガが隆盛しているこの社会で、そういう過程を経ずに成長した子供が同世代の子と似たような青春時代に対する憧憬を持つことができなかったら、寂しい気持ちになってしまうかもしれないとか考えるし。当人は全くそう思わなくても、僕みたいなこういう発想をする人がいたら、他人から無用な憐れみをかけられるかもしれないし、とかねw。要は僕が親になることを想像するとき、子供に特別な道を歩ませてまで「大物になってもらいたい」とか「できる人」になってもらいたいとか全然思わないってこと。普通に幸せでいてくれるのがいいかなって。
だけど、結局、ホームスクーリングっていうのは親の教育方針うんぬんには関係ないことなのかもしれない。もう一度基本に立ち返れば、それは子供がそうしたいかどうかっていう問題だから。

子供の成長を、あらゆる意味での教育者として見ていけたら、それはそれでかなり幸せな人生かもって思ってしまう。もちろん収入のことは考えなきゃいけないのだろうけどw、子供がほんとにそうしたいって言ったら、僕は自分の職業上の成功の願望なんて簡単に捨ててどうにかこうにか先生になってしまえるような気がして仕方ない。僕らの唯一の生物学的な生存理由なわけだし、やっぱ子供を持つこととその教育って人生で最も大きなやりがいのあるチャレンジの一つだよね。
その日が来るのはいつになることやら。

※1 アメリカでは普通中学校に上がるまで外国語は教えない。「12歳から勉強して話せるようになるわけねーだろ!」というアメリカ人の友人の言葉が思い出される。たしかに、移民2世はともかくとして、アメリカ人は日本人同様外国語があまり得意ではない。そういう点でも、長男はホームスクーリングを通じて英才教育を施されているといえる。

※2
日本においては就学義務が法律で定められているため、ホームスクーリングでは義務教育を履行したとみなされないってWikipediaにはある。だから一応どこかの小学校やら中学校に籍をおいて、学費を納めて、形式上は小中学校を卒業しないといけないってことになるんだろう。でも実際のところ、進学には内申書とかいう制度もあったりするし、海外に進学でも考えない限り、ホームスクーリングはやっぱり学校教育と比べて子供の進学に不利になるのではないかと思われる。ちなみに、ドイツや香港ではホームスクーリングは違法なんだそうです。

2009年3月5日木曜日

経済学ブログ再発見

最近、少しネットをさまよっていて、すごいなーって思う日本語の経済学ブログをいろいろ発見。たぶん、すでにかなり有名なものばかりなんだろうけど・・・w。いちおうまとめておきます。

himaginaryの日記
これはほんとにすごい。米国におけるup-to-dateな議論の日本語翻訳をされているだけじゃなくて、ご自分でデータを整理して批判しておられる。経済学をしっかりと勉強していない僕にとっては分からないことも多いんですが、このブログがほんとにすごいってことくらいは分かります。
それに、僕が最近まで浅はかな知識をもとにちょくちょく書いた世界の経常収支不均衡と経済危機のリンクについて、こちらに非常に示唆に富んだエントリーがあります。
俺に金を貸したあんたが悪い

ラスカルの備忘録
こちらもすごい。フィリップス・カーブ等のデータを毎回自前で更新されている模様。僕もがんばればいつかはこんな読書録を書ける人になれるのだろうか。ひとまず読書・勉強がんばらないと。

Econo斬り
yyasuda教授のこのブログは、実は留学してたときからちょくちょくとのぞいていました。タイトルからしてセンス抜群です。

ハリ・セルダンになりたくて

説明が素人にも分かりやすい!そして、なぜか僕もSF読んでみようかなーって思わされます。

まとめ
経済学ブログといえば池田信夫さんが有名すぎるくらい有名ですが、氏のブログと対照させながら読んでると上記のブログはとても面白いです。ほんと経済学勉強しないとなぁ。今月中には本気でマクロとミクロの教科書一冊ずつ買って勉強はじめたいと思います。

PS.
koiti-yanoさんのブログからの拝借だけど、僕もとても気になりました。
諸葛孔明の63代子孫の方・・・。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0226&f=national_0226_011.shtml&pt=large

中国語の勉強にも熱が入りそうです!!!

2009年3月2日月曜日

これはひどいんじゃ・・・

Japan's crisis of the mind
New York Times

わざわざこのタイミングでNY TimesのOp-Edに日本についてのこんな記事を載せていいのだろうか。書いてあることは、日本の産業は海外で生み出されたものを真似して改良することだけが強みだったとか、官僚機構の強さが政治をマヒさせてきたとか、自殺率が高いとか、高齢化が進んでいるとか、リスクテイクの意識が低いとか・・・。たぶん90年代を通じて流行みたいに言い尽くされたことじゃないだろうか。言いたいのは、失われた10年を経ても本質が変わっていなくて、必要なのはほんとのchangeだってことなんだろうけど。それにしても、日本人の書いたものがNY TimesのOp-Edに載るってそれほど頻繁にあることでもないし、陳腐化した日本の分析をきれいな英語で簡潔に語り直すこと以上の何らかの付加価値を出してほしかったです。
こういう記事を見ると、やっぱり日本発、英語メディアの拡充の必要性がより強く感じられます。
そして、またNY Timesの日本関連の記事のクオリティにたいして疑念が高まりましたw。
日本のメディアがんばれ!

PS. 今日朝日新聞のGlobeっていうのをはじめて読みました。装丁もかわいくて良いし、面白いです。メインの世界遺産登録についての記事は、最近の旅行中に数々の世界遺産に出会って世界遺産ブランドの集客パワーや、けっこうまちまちなクオリティについてなど考えさせられたのでとても興味深かったです。大竹文雄教授の「派遣問題」の話も分かりやすいし、登山家の山野井康史さんの記事も華があった。これは毎週チェックしたいです!日本のメディアがんばってるなぁw。
Asahi Shimbun Globe

2009年2月27日金曜日

ベトナムの悲願

ハノイの夜 (February 15, 2009)

上の写真はハノイの中心部、ホアンキエム瑚近くの広場で撮ったもの。この写真にも、ベトナムの長年の悲願の達成が表れているw!

朝日新聞: ベトナム長年の悲願、交通事故死が激減 ヘルメット効果


旅行中、タイからカンボジア、そしてベトナムへ移動して僕らがとても気になったこと、それはベトナムに入国したとたんに、バイクのヘルメット着用者の割合が急増したことだった。ベトナムより豊かなタイではバンコクやその他都市の一定地域内でのヘルメット着用は義務付けられているらしいのだけど、そんなにヘルメットつけてるイメージはなかったなぁ。他の二国に比べて圧倒的に貧しいカンボジアではほとんどの人がノーヘル。こんな状態では、東南アジアでは交通事故死が日本に比べてかなり多いんだろうなぁとなんとなく思っていたんだけど。やっぱりベトナムは他国に比べてきちんと対策を打ち出しているってことだったんだ。それにしても、ヘルメットを着用していなかった理由が「暑い」「髪型が崩れる」っていうのも、気持ちは理解できつつも日本人目線から見たら少し滑稽な気が。この辺の心理について「ヘルメット着用の社会学」みたいな感じで、経済学的、社会学的な研究がされたら面白いかもしれないw。

ちなみに、警察庁の統計
によれば日本における2007年中の交通事故死者数は5,155人。しかもここ10年くらいは毎年減少傾向にあるようです。一方のベトナムではその”悲願を達成した”昨年08年の交通事故死者数が11,243人(一昨年より1557人減)とのこと。ベトナムの人口が日本の約2/3程度であることを考えると、日本と比べてしまえばまだまだ交通事故による死者の比率が高い国っていうことになってしまう。

それならば日本ってそもそも交通事故死が少ないのかなぁと思ってググってみたらこんなデータが出てきた。

交通事故の国際比較

これにはベトナムが載っていないのが残念だけど、説明にはこうある。

交通事故死亡率を見ると、日本は、事故率とは異なって、世界的に見ても非常に低い死亡率となっている。韓国、米国などは日本の2倍の死亡率となっている。もっとも、日本もかつては現在の2倍以上の交通事故死者数だったので、その当時は、現在の韓国、米国と同等の水準の死亡率であった(図録6820参照)。

 交通事故死亡率も全体的には途上国で高く先進国で低い。アラブ首長国連邦やサウジアラビアといった産油国で交通事故死亡率が高いのは、ガソリン代が安く、経済発展度の割に自動車交通が普及しているからであろう。逆に、道路の発達に制約があるフィリピン(群島)や人口の割に道路の少ない香港では、人口当たりの死亡率は低くなっている。

ふむふむ。やっぱり経済発展っていうのは交通事故死数に関わる重要な要因なんですね。一方で、先進国であるアメリカや韓国において事故死亡率がとても高いのが気になります。経済発展はそれだけで交通事故死の減少を約束するわけじゃないってこと。それにガソリン代が安い国で事故死亡率が高いっていうのも面白い要因。去年は上半期にオイルが史上空前の価格まで上がったわけで、ベトナムの交通事故死減少にも、ガソリン価格の高騰が一役買っている可能性があるんじゃないかな。

ベトナムでは、今後も経済発展に伴って、二輪から自動車への乗り換え、公共交通機関の整備、道路やその他交通環境の整備、医療機関の充実など、交通事故死が減っていくポジティブな要素が多い気がするけど、一方で違反の罰則規定を厳しくすることや交通安全教育なども重要だってことを今回の事例は示唆してると思います。僕も最近おじいちゃんに耳タコで言われたし、交通事故には気をつけようっと。

2009年2月26日木曜日

気になった記事をいくつか

インドシナへの旅行中に、僕が所属していた二つの大学院のlistservから嵐のように世界の経済危機に関連する記事が送られてきており、それを一つ一つきちんと読むこともすでにきっぱりと諦めた僕は、最近経済危機に関する記事を読むのをあえて一時的に止めようかなーって思っていたくらいです。ほんとにいろいろ大変な(ように少なくとも僕の目には見える)ことが起こりすぎているし、あらゆる議論もさかんになっているし、それらを理解するのに必要な僕の基礎知識も明らかに足りていないので、これは一つ現在起こっていることの解説本と、経済学の教科書を読みなおさないとまずいのではないかと考えたわけです。実際今もそうしようと思っているんだけど、何せ「経済」なんていうラベルをこのブログにつくってしまったことによる使命感もいちおうあるので、最近気になった記事を少しだけ貼り付けておきたいと思います。

アメリカで高まる中国バッシングの話の流れがとても分かりやすくまとめられています。要点をまとめると以下。
・中国が(部分的には通貨操作によって)安い製品を輸出したことは、途上国の低所得な消費者の日用品の購買力を上昇させるという”良い”側面を持っていた。
・中国とその他アジアの国の高い貯蓄率は確かに世界の利子率を下げ、アメリカの住宅バブルの形成に間接的な責任を持つが、銀行の過剰な借り入れと貸出、アメリカ政府によるサブプライム・ローンの奨励の方がはるかに責任が重い。それらこそが今回の危機の本当の容疑者だ。
・過去10年にわたる中国バッシングは1980年代の日本バッシングを思い起こさせる。日本の圧倒的な対アメリカ貿易黒字、大規模な米国債の蓄積、そしてアメリカにおける資産の購入は、アメリカを傷つけることはなく、日本政府や日本のビジネスに逆に跳ね返ることになった。今回の件に関しても、最終的には似たような結論が導きだされるのではないか。

基本的には中国バッシングに対する警鐘的な内容なのに、最後の部分がかなり不吉w。以前からMichael Pettis氏あたりが指摘しているけど、過去の国際的な経済危機においてより甚大な被害をこうむったのは赤字ではなく経常収支黒字の国、つまり基本的には国内の消費に対して生産が大きく、ショックによる調整のために貯蓄を消費へシフトしなければならない国だったということもあるし、結果的には今回の危機で中国の方がアメリカより大きな被害をこうむるのではないかと示唆しているようにも見えます。今のところ中国経済のデータは予測されていたよりも良いくらいらしいけど、少なくともより小規模な黒字国のAsian tigersはすでにひどいことになってますね。日本も。

僕はこういうタイトルをつけられると読みたくなってしまう性質ですw。ちょっと古いものだけど、Harvard KSGのRodrik教授によるかなり巨視的かつちょっと抽象的な危機後へのガイドライン。Capitalism 3.0とつけたのはなぜかというと、どうやら20世紀初期のアダム・スミス的な、政府が市場を機能させるために最小限の介入をするシステムを1.0、そしてRodrikによると1970年代まではうまく機能していたというケインズ的な、世界的にGDPにおける政府支出の割合が圧倒的に高まった状態-福祉国家システムを2.0としているからみたい。基本的には一国単位でうまく機能することを意識して作られたCapitalism 2.0は1980年代以降、世界経済の結合によってほころびていった。現在の経済危機は、2.0が今の世界においてうまく機能しないことを証明している、らしい。
ここで上の記事で扱われていた中国の件がまた出てきて面白いんだけど、Rodrikはこう言っています。

When Chinese-style capitalism met American-style capitalism, with few safety valves in place, it gave rise to an explosive mix. There were no protective mechanisms to prevent a global liquidity glut from developing, and then, in combination with US regulatory failings, from producing a spectacular housing boom and crash. Nor were there any international roadblocks to prevent the crisis from spreading from its epicentre.

中国型の資本主義とアメリカ型の資本主義が出会うことによって、ほとんど安全弁がない状態で「爆発性混合物」が生じた、と。言葉は違えどBeckerと同じこと言ってます。このあたりはすでに著名な経済学者にかなり広く共有されている認識なのかも。結局、Capitalism 3.0っていうのは、世界規模で市場とそれを支え(規制する)機構のより良いバランスを改めて模索していく上で生まれるGlobal governanceの形ってことなんだと思います。その必要性を認識して世界各国がきちんと協議していこうってことかな。

行動ファイナンスの権威、YaleのBob Shiller教授による記事。
アメリカでは、危機に際して人々が1929年から始まった大恐慌について関心を持ち、語り始めている。Shillerは大恐慌に人々の注意が向けられることは現在の状況を考えれば合理的だけど、大恐慌を語ること自体が現在の危機の原因なのだと指摘しています。なぜなら、語ることによって大恐慌が人々の将来に対する期待のモデルとなり、ケインズの言うところのanimal spirits―人々の消費意欲や企業による雇用、ビジネス拡大の意欲―を削いでしまうから。こういう心理学的要素が入ってくる話も僕の好みですw。
面白いところは以下のところ。

The popular response to vivid accounts of past depressions is partly psychological, but it has a rational base. We have to look at past episodes because economic theory, lacking the physical constants of the hard sciences, has never offered a complete account of the mechanics of depressions.
(過去の不況の鮮明な描写に対する大衆の反応は部分的には心理的なものだけど、合理的な根拠も持っている。なぜなら、経済学の理論は自然科学が持っている普遍性を欠いており、不況の構造・力学について完璧な説明がされたことなどないから、過去の事例にさかのぼらなければならないからだ。)

この前友達と似たようなことを話していて、「なら不況について話さなければいいじゃん!」みたいなことを言われてどぎまぎしてたんだけど、こう答えればよいわけですね。Shillerによれば、1929年からの大恐慌が取りざたされたのは1981-82年のときも同じで、87年のブラックマンデーのときにもいくらかの注目を集めたとか。さらには、その1929年の大恐慌のときには、それ以前の不況-1870年代と1890年代のもの-が取り沙汰されたらしい。記憶、記録が人々の期待形成に関わって、新たな不況が生まれる。「歴史は繰り返す」っていうのは、大衆による心理的な自己実現のプロセスのことを言ってるのかもしれないですね。

経済危機と一言で言っても、特定の会社の破たん・救済や人々の心理を扱ったShillerの記事のようなミクロなものから、上記Beckerの記事のような二国間関係について扱ったもの、Rodrikのような今後のGlobal governanceについて歴史の流れの中で模索しようとするものなどマクロなものがあって、その切り口や語られ方は本当に多様で膨大。だからこそ途方にくれるんだけど、ニュースを読んでいて本当に面白い時期でもあると思う。昨今のニュースを読みながら、人って社会って世界ってほんとにおもしろいなぁって感じている僕はあまりにも浮世離れしていて、不謹慎なのかもしれないけど。少なくとも、僕の本やその他情報に対するAnimal Spiritは失われていませんw。なるほど、だから出版やメディアは不況に強いと言われているのか!

2009年2月24日火曜日

祖父とのドライブ

今朝、母方のおじいちゃんに誘われて、おじいちゃんのトラックでドライブに行った。こんなことは初めてのことだった。たぶん、僕が本当に小さかったときを除いては。

僕は、親が共働きしていた関係で、本当に小さかったある時期に毎朝母に連れられておじいちゃんの家に預けられ、夕方また仕事帰りに母が迎えに来るまでそこの家で過ごすという生活を送った。おじいちゃんの家は川の土手のすぐ下にあったので、土手でおじいちゃんのジープにそりをくくりつけてそり遊びをしたり、近くの駄菓子屋に買い物に行ったりした。もう少し大きくなって、おじいちゃんの家に預けられることがなくなっても、たびたびおじいちゃん家を訪れては同じ土手でキャッチボールをしたり、川で釣りをしたりした。たまにパチンコに行ったりもした。僕が小学校低学年のときにおばあちゃんがなくなってから数年後、おじいちゃんは再婚し、新居を設けて引っ越しをしてしまったのでもう土手を見ることはなくなった。だけど、僕は大きな川や土手を見るたびに、おじいちゃんと遊んだときのことばかり思い出す。

おじいちゃんは昨年がんの手術を受けたけど、早期発見だったし経過も良いので、定年をとっくにすぎた今も二人目の若い奥さんとその子(僕のおじさんにあたる高校生)を養うために元気に働いている。今は自動車機械の技術工。その前は廃棄物処理場で働いていた。高速道路の料金所で働いていたこともあった。若いころは長距離トラックの運転手をやったり、おばあちゃんと行商のようなものをしていたらしい。そのおかげで、僕のお母さんはほとんど親の顔を見ることなく、僕のひいおばあちゃんに育てられたらしいのだけど。とにかくおじいちゃんは持前の体力と手先の器用さ、そして周囲とのつてや情報を頼りに生きてきた人で、僕にとっては僕が知らない時代をたくましく生きてきた人の象徴のように映る。そして、僕みたいにそれなりにぬくぬくと育ってきた孫に対する大きな期待を感じる。社会的地位がそれなりに高く、安定した仕事について欲しいっていう願いを強く感じる。「酒には気をつけろ」とか、「運転するときにスピードなんか出すもんじゃない」とか、そういうありふれた警句も、おじいちゃんから発せられるときには、僕にとって特別な響きを持つのだ。僕は明らかに、おじいちゃんが生涯をかけて積み上げてきた”土手”の上で、見晴らしの良い風景を与えられて安全に育てられたのだから。

「ここは少しなだらか過ぎてそりが滑らなかったから、もう少し向こうの急なところに行ったんだよ。覚えてるかい?」

今日おじいちゃんと僕が土手を訪れたとき、そんな風におじいちゃんは言った。僕は

「あれって俺がいくつのころ?5歳くらいかな。」

って答えた。もう20年のまえのことだった。20年も前のことを語れるような歳になっちゃったんだよと言って、僕は笑った。土手には新しい橋ができていた上に、もう一本さらに新しいものが並行して建設中になっていた。おじいちゃんいわく、何度も増水して水があふれかえりそうになった川のほとりには、水害対策用のおおがかりな施設ができ、ヘリポートまで建設中らしかった。僕にとっては、はじめて訪れた場所のように見えた。

おじいちゃんが勤める工場にも行った。おじいちゃんが自分の持ち場へ挨拶に行ったときに、工場長が

「孫かい?アメリカから帰ってきたんだね。おじいちゃんは本当によくやってくれていて感謝している。正社員にしてやりたいくらいなんだ。」

と人の良さそうな笑顔を浮かべながら言ってきて、なんだか誇らしく思った。おじいちゃんはあとで、「工場はここ数か月全く製品が売れずに倉庫が在庫でいっぱいだ。おじいちゃんみたいな高齢の非正規職員は切りたくてしょうがないのだろうけど、社長の人が良すぎて切れないんだよ。」と言っていた。このあたりの小さな産業は本当に追い込まれているらしかった。200人いたある大手下請けの製作所の従業員が今は23人になっている。温泉やレストランを経営して手広くやっていた内装業者が最近倒産した。同じ工場で30年まじめに勤めていたおじいちゃんの友人もこの前突然解雇された。最悪の時だと思うけど、それもまだあと1年くらいじゃ収まらない、5年くらいで上向くかどうかも怪しい、というのがおじいちゃんの見解。「まだ家のローンがあと1年あるのにな。」っておじいちゃんは言った。

一緒におじいちゃんの行きつけのすし屋でお寿司を食べた後、帰り際に僕が友達の結婚パーティのことを楽しみにしていることを話してから、ふと尋ねてみた。

「やっぱり俺には早く結婚して欲しいもんなの?」

「うん、まあそうだな。」

と、おじいちゃんはなんだかぼそぼそと答えた。ひとまず、「そこについてはあまり期待しないでよ」と笑いながら言うしかなかったけどw。うーむ。

たぶん、これまでも、そして今後も、僕が自分の道を考えようとするとき、それが僕だけのものであるってことはないんだろうな。血がつながっている人だけじゃなくて、僕らはあらゆる人とのつながりとの中で、期待とか愛情とか、ときには嫉妬とか、ときにはそれらのものから逃げようとする欲求からかもしれないけど、いずれにせよ、たぶん人のつながりの総体として決断して生きてく。僕はこれから、以前大学進学のときにそうしたように、おじいちゃんの期待をまた裏切ることになるかも分からないけど。でも、浅はかな考えなのかもしれないけど少なくとも今は、自分が前向きでいられてわくわくし続けていられることが、僕のつながりに対する一番の誠意の表明だと思っています。

Bright Eyes "We are nowhere and it's now"

2009年2月22日日曜日

その者、青き衣を纏いて・・・

タ・プロームにて (February 7, 2009)


風の谷のナウシカ

Wikipediaによると、前回触れたプラネテスは、マンガとテレビアニメで星雲賞のコミック部門、メディア部門の二部門を受賞したそうなんだけど、同賞をダブル受賞した作品が以前もう一つあったらしい。それが、風の谷のナウシカです。

実は東南アジアを旅行中、アンコール遺跡群の中にあるタ・プロームに立ち寄ったときから、どうしてもこのマンガをもう一度読みたいっていう衝動が収まらなかったので、帰国後に一気に全巻読みました。なんでそういう衝動が起こったのかというと、それは単純にタ・プロームが人々に忘れ去られ自然によって喰われた非常に美しい廃墟で、なんだかそれがナウシカの作品世界―文明が腐海という名の森によって飲みこまれていく黄昏の世界―を想起させたからだと思います。そして読了後、再び得た感想。

これこそが、僕の人生の中で出会った最高のマンガだ!!!

もちろん、マンガとひとくくりにしたっていろんなテーマや方向性があるし、そういう意味ではそりゃあ「ピューと吹くジャガー」だって僕は心から好きだし、それに僕はそれほどたくさんマンガを読んでいるっていうわけでもないんだけどw。でも、これほど広大で深遠なテーマと作品世界を持ち、幅広い層にストレートに訴える力をもったマンガは他に存在しないのではないかと、ほとんど確信しています。(でも、なんか面白いマンガがあったらほんと教えてくださいw。)

とここまで書いて、僕があまり内容についてネタばれ的に語るのはよくない気もしてきたので、僕の心に響いたナウシカの言葉をメモしておくだけにしますw。

精神の偉大さは苦悩の深さによって決まるんです・・・生命はどんなに小さくとも外なる宇宙を内なる宇宙に持つのです。

その人たちはなぜ気づかなかったのだろう 清浄と汚濁こそ生命だということに。苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。それは人間の一部だから・・・だからこそ苦界にあっても喜びかがやきもまたあるのに。


いのちは闇の中のまたたく光だ!!

うわー、やばい。ナウシカも、今回のエントリーからにじみ出る僕のオタク性もw。